指宿の煙草神社遺構

指宿煙草の濱田金右衛門”の項で画像を紹介している十二町丈六(旧山王神社)と東方玉利のものの他、市内では以下の5ヵ所で遺構を確認しています。指宿市誌(19851025日)に拠れば旧指宿市内の煙草神社の祠・石碑は9ヵ所にあり、十二町では丈六、小田の外、片野田も文中に記載があるものの、添付の“指宿市の民俗神分布図”では十二町には2ヵ所しかプロットされておらず、現在のところ所在が不明です。また、残る1ヵ所は新西方東前ですが、煙草神は今嶽神社(新西方1483)に合祀されており、煙草神社としての遺構はないようです。

 

 十二町小田の煙草神奉祀記念碑

十二町小田の煙草神奉祀記念碑 “指宿煙草の濱田金右衛門”の文中で触れている忘れ去られた遺構です。両側に十二町の揖宿煙草の生産を担った関係者の名前が記録されてされていて、壁との隙間からかろうじて確認できる裏面の碑文には昭和31928)年12月とあるようです。

 

 西方久保の煙草神鎮座記念碑

西方久保の煙草神鎮座記念碑

煙草神の勧進を記念した左の石碑に昭和三(1928)年戊辰三月四日とあります。久保の集会施設に保存されている遺構の一つで、右の祠は紀年銘を確認できませんでしたので、煙草神を祀ったものかどうかを判断しかねています。

 

 池田の煙草神祠

池田の煙草神祠

池田小学校前の()(たま)神社に合祀されている無銘の祠です。さすがに十六菊ではありませんが、表菊をあしらうというなかなか思い切った意匠で、軍事色の強い新しい時代のものではないかと考えられます。指宿葉は御料煙草の一つとして恩賜の煙草にも使用されていましたから、それに関連した遺構なのかもしれません。

 

石嶺の煙草神祠

石嶺の煙草神祠 清見岳に移され日照()(ぼとけ)神社(ひぼっけどん)に合祀されている無銘の遺構。形状は池田の祠に類似ですが、煙草の葉や菊の御紋は彫られていません。“清見岳溶岩ドーム”のページの日照仏神社の画像で左手前に見えているのがこの祠です。


 

 宮ヶ浜の煙草神祠

宮ヶ浜の煙草神祠


“文政十一年四月十三日(1828526日)奉進納 願主 小牧村新久保庄兵衛”の銘のある、他とは祀られた経緯が異なると思われる祠で、豊玉媛神社に合祀されています。内部に随神像が一体納められていますが、煙草神社由来のものではなさそうです(残る一体は吽形の仁王像の足下にあります。豊玉媛神社は“廃仏毀釈”の項でも紹介しています)。



市町村合併前は開聞町でしたからこのページには含めませんでしたが、開聞上野と開聞仙田にも煙草神が祀られており、“上野溶岩”のページの“上野神社の供養塔群と煙草神社”の項で画像を紹介しています。


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