()(かん)サァ(田の神)

田ノ神サァは、旧薩摩藩にみられた民俗信仰の名残で、その名のとおり、収穫を見守ってくださる田の神様です。指宿地方では、年代値を確認できないものを含めて元文~寶暦年間(1736~64年)頃に祀られたと推定される時代のものもありますが、その後に現れるのは明治時代(1868~1912年)となるという、空白期間の長い謎の遺構でもあります。民俗信仰ですから、時代の古いものは、各々の来歴等も詳らかではありません。

田ノ神サァの依代とされる指宿神社前の椋 このページの最後に地質遺産巡検の際に見かけたものを含む指宿・頴娃の田ノ神サァのマップを埋め込んでおり、祀られたのが大正81919)年と新しい霜月田のものも含めました。地名は、この地域が揖宿神社の祭田の一つであったことに由るもので、本来の田ノ神は、遺構の後ろに位置する依代としての椋の木。旧暦の霜月9日と、御田植祭の旧暦51日には、この前で祭礼が奉納されていました。

新宮前 霜月田

一、椋

十一月九日 祭事在、五月朔日 田植之規式在

     - - - - - <中略;以下、11月祭祀抜粋> - - - - -

一、九日、雷聲在。御籏戸帳御幕、其外飾備(もり)(さこ)川上ノ水ヲ取、神酒造入ノ式在リ。

一、同日、御衣裁方在。次音楽在リ。次音楽在リ神戸、次音楽在リ御衣献所之亊。

一、同日夕音楽在リ、神供所音楽在リ於、■祭之次第田ノ神祭等、都而二月九日音楽在リ同シ。

新宮社末社祭式取調帳 一,慶應三年丁卯十二月18671227~1868124日)

霜月田の田ノ神サァ像は、巨木信仰から派生したという意味で、田ノ神舞を模したとの説もある大方のものとは多少性格が異なります。

また、同じく字名として残る祭田のうち二月田には紀年銘が指宿では最も古い田ノ神サァが置かれています(元文五年庚申二月二十七日(1740324日)。旧薩摩藩最古の遺構は、薩摩郡さつま町紫尾の“御田神”で寶永21705)年のものです)。旧暦二月二日と九日には、神酒造入、田ノ神祭等が執り行われていました。

一、二日、不浄禁足・注連入斉、雷聲在。御籏戸帳御幕等、其外飾備、葎ヶ迫川上ノ水取、神酒造入ノ式在

一、同日夕音楽在リ竈祭次第、神供所音楽在リ於、雷聲、神拝在。次音楽在リ祝詞、酒供三器之頌文、火ノ神祭文在。次音楽在リ福配蒔米舞、初之式在。次音楽在リ大鳥舞。次音楽在リ榎木之森神酒散米。權祝役ヨリ祭供在リテ()

     - - - - - <中略> - - - - -

指宿神社に奉納された田ノ神サァ 一、九日、雷聲在。御籏戸帳御幕、其外飾備。葎ヶ迫川上ノ水ヲ取、神酒造入ノ式在リ。

一、同日夕、神供所音楽在リ於、取竈祭ノ次第田ノ神祭等、始終ノ次第、二日ノ夕同シ。

新宮社末社祭式取調帳 一,慶應三年丁卯十二月18671227~1868124日)


指宿神社には、この他に、宝物殿にも田ノ神サァ一体が納められています。紀年銘を確認することはできませんでしたが、木之下地区にある間水神社の斜向かいに祀られていた明治期のものだそうです。両手が欠けており、かつては水田での作業をする際に、田ノ神サァを鎌の裏などで叩いてお詣りするという習俗があったとのことです。

田ノ神舞は、山川の南方(みなかた)神社3年に一度奉納される(かん)()の一部を構成しています(南方神社のホーム・ページをご参照ください)。また、“関東かいもん会”のホーム・ページのコンテンツ“開聞昔話”のうち“枚聞神社 - 社伝来の神舞”の項に、枚聞神社の田の神舞の詞が紹介されています。







Copyright © All rights reserved.