「指宿・頴娃ジオガイド」コンテンツ更新情報

2019 6 3

垂水市の(くぬぎ)(ばる)で昨日行われた旧暦の端午の節句(現在はそれに近い日曜日)の行事“(おろ)()め”の様子を動画にまとめました。苙の中の小学5年生以下の()(がしら)(馬)と、これを曳出そうとする小学6年生の(おや)(がしら)(侍)との攻防です。子頭は手段を選ばず抵抗。親頭は手出しをしないというのが決まりで、昨日は頑強な子頭の必死の反撃にあって泣き出してしまう親頭もいたのですが、これは当人の名誉のためにカットしました。

“南薩火山岩類(鬼門平断層崖)”のページの脚注4(苙)に追加した苙込めの画像からのリンクでご覧頂けます。

また、牛根の道の駅の前に期間限定で設けられている牡蠣小屋で食事をしたついでに、近くの宇喜多秀家公潜居地跡にお参りしてきましたので、画像を“山川・成川マール”のページの“木村重成と真田幸村”の項の本文からのリンクでpop-up 表示させるようにしています。 垂水市柊原の苙込め



2019 5 31

日照仏神社に合祀されている石嶺の煙草神祠 揖宿煙草の濱田金右衛門”で旧指宿市内にある煙草神社のうち2ヵ所の遺構の画像を紹介していましたが、一昨日、昨日の徘徊である程度画像が揃いましたので、“指宿の煙草神社遺構”のページにそれ以外のものをまとめてみました。本文からのリンクでの表示となります。

指宿市誌(19851025日)をみると、依然として12 ヵ所の漏れがあるようで、これについては確認でき次第、画像を追加する予定です。



2019 5 28

南九州市 企画課のご担当者様より平成30年度版“統計南九州”のPDF ファイルをアップロードした旨、ご連絡を頂きましたので、“入戸火砕流堆積物”のページの農産物生産額表を更新しました。隣り合う自治体での内訳の差が面白いことでまとめたものだったのですが、改めて眺めてみると、かつての指宿煙草の隆盛は夢のようです。



2019 5 26

大岩戸神社前の北薩火山岩類露頭 昨日、いちき串木野市の冠岳の大岩戸神社にお参りしてきました。用明天皇の勅命を受けた蘇我馬子が冠嶽三所権現を建立した際に植えた煙草が自生していたと言われる北薩火山岩類の洞窟に鎮座する社で、旧指宿市の煙草神社は、いずれも大岩戸神社を勧進して祀られています。

いちき串木野市のサイト(みどころ(霊峰冠岳))では“珍しい野生の煙草が自生していることから煙草神社と呼ばれるようになりました”と現在形で紹介されており、右の画像で奥に見える柵のところにある白板の注意書きにも“このタバコは自然にはえたもので”云々とあるのですが、5月なのにナス科らしき植物は見当たりません。

残念ですが、折角ですから、現状の画像を大岩戸神社のものと共に、“揖宿煙草の濱田金右衛門”の項の脚注5に追加しておきました。

帰りにさつま町に寄って紫尾の御田神にもお参り。鹿児島県の田ノ神サァの中では最も古い紀年銘を確認できるもので、こちらは“指宿・頴娃の田ノ神サァ”のページで紫尾の御田神に触れている部分からのリンクでpop-up 表示される画像を加えています。



2019 5 11

島根大学附属図書館/奈良文化財研究所の“全国遺跡報告総覧”に指宿市教育委員会の“今和泉島津家墓地埋蔵文化財発掘調査報告書”がアップロードされていました。そこで触れられていた六地蔵塔の並びにある磨崖の五輪塔の存在を知らなかったので昨日 宮ヶ浜捍海隄 確認に出掛け、 “湊川層”のページに “磨崖五輪塔”の項を追加しています。詳細が明らかではない遺構のため、画像の紹介程度の内容で多少寂しいものですから、六地蔵塔の画像も pop-upで表示させる仕様として、何れもGoogle My Maps®の“指宿・頴娃ジオガイド・マップ”にも加えておきました。

刻まれている岩は阿多火砕流堆積物・・・と、ここまできて“阿多カルデラ噴出物”のページで挙げている荒平石の遺構から宮ヶ浜の捍海隄(かんかいてい)が落ちていたことに気付き、帰りに寄って改めて岩相を明確に捉えられる近影を確保。“捍海隄”の項にこれを追加して、“阿多カルデラ噴出物”の記載も修正しています。



2019 4 20

26日の更新情報でも触れた池田の魅力の発信を模索していらっしゃる方々と、活動を主導しておられる元市議会議長岩崎亥三郎氏を中心とする諸先輩方の御骨折りでの企画、地質・産業遺産の再確認ツアーに参加させて頂きました。今回は大谷金山跡。これまでも個人的には何度か訪れていたのですが、鉱山跡の先に滝が存在していたことには全く気付いておらず、そこで池田火砕流堆積物の露頭に触れることができたのは大きな収穫でした。画像の一つは大谷川の滝での巡検風景ですが、地元では“ちんたらの滝”という気の毒な呼び方をされているようです。

今日の更新としては、“池田湖テフラ”のページに大谷川の滝の画像を追加し、二度山石の項を若干補足する程度にとどまったものの、大谷石・池田石の採石場に通じる道が大谷鉱山跡につながっているというお話も伺えましたので、何れは大谷鉱山跡から池田石採石場までをカバーし、各坑道跡の名称を特定できるマップを作成できればと思っています。

大谷鉱山坑道跡 大谷川の滝

2019 4 9

穴口の露頭 寛永の比に朴平意・與用父子によって見出されたとされる笠沙陶石(加世田白砂)は、指宿カオリンと共に白薩摩の原料として利用されました。四万十層佐伯亜層群の砂岩・泥岩互層に貫入した石英斑岩が熱水変質により陶石化したもので、笠沙の椎ノ木地区に分布しています。昨日寄ってみた際のものを“権現山成層火山体”のページ(“白薩摩”の項)にpop-up表示させる参考画像として追加しましたが、時間が限られていたので満足できるほどの露頭を探し切れていません。引き続き課題とさせて頂きます。

以下はその他の野間半島の画像。コンテンツとして採用してはいませんが、笠沙は、露頭への興味を抜きにしても景観を楽しめる地域です。

野間半島後浜の古期南薩火山岩類 野間半島高崎鼻の四万十層 野間半島高崎山下の四万十層

2019 4 4

穴口の露頭 昨日、久し振りに開聞岳南の海岸を回ってきました。昨年1月以来です。

昨年夏の風水害で崩落してしまった露頭もあり、少し様相が変わってしまっていましたが、これは自然の摂理ですから致し方ありません。健在を確認できたものを含め、“開聞岳南溶岩”、“横瀬溶岩”、“田ノ崎溶岩”、“874年火砕流・土石流堆積物”の画像とリンク先参考ファイル画像を一部更新し、内容も若干変更しています。

目的の一つであった“犬帰(いんげえ)溶岩”の確認は、今回も叶いませんでした。



2019 3 18

敷領遺跡の貞觀の噴火噴出物の露頭 敷領遺跡は貞觀の噴火の被害を受けた弥生中期~平安時代の居住地域の遺構で、年明けから指宿市考古博物館(時遊館 Coccoはしむれ)による南十町側の発掘調査が進められています。縄文時代後期の温湯(ぬり)中島ノ下遺跡で確認されたようなクラスティック・ダイクは見当たらず、地震被害は受けていないようですが、埋没物を含む層を覆う貞観の噴火の噴出物を明確に確認することができます。

見学ついでに露頭の画像を確保してきましたので、“874年火砕流・土石流噴出物(開聞岳貞觀の噴火) ”のページに追加しました。



2019 3 2

鹿児島市一倉町の牧の苙跡 先日、肝属家ご一族の“肝付 兼美@aoba_mandolin”さんがTwitter®で喜入の(おろ)を紹介されていたのを見て、鹿児島市観光農業公園(グリーン・ファーム)に出掛けてみました。指宿でも地名としては残っており、“南薩火山岩類(鬼門平断層崖)”の“金銀鉱山跡”の脚注4苙口(おろんぐち)について簡単に説明していたのですが、やはり参考画像がある方がイメージをつかみ易いのでは、と思い立ったことによるものです。遺構の規模は大きなものではありませんが、保存状態は良好です。

鹿児島市観光農業公園は、北側の渓流も地質遺産として魅力的なのですが、残念ながら“指宿・頴娃”エリアではありませんので、こちらをコンテンツとして加えることは見送りました。機会があればお訪ねになってみてください。



2019 2 23

【更新情報ではありません】

仙厳園の御庭焼登窯跡 鹿児島市に出かけたついでに仙厳園に回りましたので、先日の薩摩焼関連の流れで御庭焼の登窯跡の画像を。島津家 30代忠重が先代忠義が造営した仙厳窯(明治281895)年に自邸内に開窯された後、明治401907)年、忠重によって鶴峰神社付近に移設)を大正41915)年に移したもので、昭和21927)年まで稼行していました。

もっとも、これはどちらかといえば本当についでで、今日の目的地は仙厳園前の国道10号線を姶良方向に辿った先の大崎ヶ鼻にあるデイサイト溶岩の露頭。以前 Twitter®で“トロ@kobetotoro”さんが紹介してらした先姶良カルデラ火山岩類です。指宿・頴娃では馴染みのない地質なのでコンテンツに加えてはいませんが、一見の価値があります。

大崎ヶ鼻の先姶良カルデラ火山岩類

2019 2 20

鰻の登窯跡を調査中の鹿児島大学渡辺教授 午前中、鹿児島に出る用事があったので、鹿児島県歴史資料センター黎明館の特別展“華麗なる薩摩焼”を拝観してきました。Hermitage Museum(Эрмитаж)Victoria and Albert MuseumV&A)所蔵のものを始めとする里帰りものも名品揃いで思っていた以上に時間をとられましたが、個人的に特に興味を惹かれたのは苗代川系の“染付柳絵和歌茶碗(展示番号73,黎明館蔵)”。底に“朴平意 八十二才而書之”と記されているそうです。嫡子興用と共に指宿カオリン、笠沙陶石を見出したとされる陶工でであるとすれば、白薩摩の原料発見は寛永の頃のようですから 17世紀後半の作でしょうか(“陶器全集 第十七 圖解薩摩燒(小野賢一郎編,民友社,19321225日,国立国会図書館デジタルコレクション)には、平意・興用親子による指宿カオリン、笠沙陶石発見の記載の後に“其孫に今有り朴平意と云”とありますから、何れの“平意”かは特定し難いかもしれません。

薩摩焼と指宿カオリンに興奮した状態で指宿に戻り、午後からはこの時期の恒例となった鹿児島大学考古学研究室の皆様による鰻の登り窯跡の発掘調査を見学させて頂きました。燃成室と一昨年の調査で存在が確認された窯尻との間の構造が明らかとなってきているようです。“鰻池マール”のページの“周辺の史跡②:連房式登窯跡”に今日の画像を追加しています。



2019 2 11

東京に来たついでに千束公園から萬福寺にかけて散策したので、“小浜溶岩”のページでpop-up表示される“池月の像”と“磨墨像”を更新しています。“磨墨像”は、以前訪ねた折には萬福寺山門が改修工事中だったため山門前からのものを使用していたのですが、アングルを変えて反対側から見る磨墨のほうが姿が良く、池月と宇治川の先陣を争ったであろうと思わせる逞しさがあります。前回の訪問は 8月だったので、今回の画像には池月、磨墨に春の花を添えるという気付いてもらえそうもない工夫も凝らしてみました。

近くにある“磨墨塚”の画像も加えています。場所が馬込ですし、付近に鐙坂、駒落ちの谷といった地名も残る、馬とは縁の深い土地です。

萬福寺山門前の磨墨像

2019 2 9

矢筈岳山頂からの開聞岳 矢筈岳火山”のコンテンツが貧弱だったことが気になっていたので、昨日、矢筈岳に登ってきました。物袋側からの登山道が岩場の続く行程であることもあり、個人的には指宿・頴娃で最も魅力的な地質遺産の一つではないかと思っています。

コンテンツに昨日確保した画像を追加しました。

下山は長崎側からの登山道を逆に辿りましたので、ついでに鬼口まで足を延ばしてみたところ、大型の波蝕窪が部分的に剥落してしまっているようです。自然現象なので避けようもありませんし、“鬼口溶岩”のページで使用している瀬平寄りの波蝕窪の被害は少ないようでしたので画像は差替えていませんが、少し残念です。

補注:レイアウトと情報の新鮮性を考慮したこともあり、後に画像は差替えています。

鬼口の波蝕窪 - 2019年2月の画像 鬼口の波蝕窪 - 2016年5月の画像

2019 2 6

二度山の採石場跡 先月 26日に池田の地区公民館長の皆様方のご案内で総勢 10 名で池田地区を巡検。清見岳 - 刻み地蔵(()死御(じんがご)(ぜん)- 池崎の石造物群というコースを回った後に地域の魅力をアピールできるアプローチ等に関する意見交換の場を設けて頂きました。巡検が金鉱山跡となることを期待していた管理人としては、「地質遺産が産業遺産となっていることが一推しとなる」という認識だったのですが、地元の方でも地域の歴史を伝える方が少なくなってしまっているようで、基本的なところから始めざるを得ないようです(参加された方の多くは池田小学校で教鞭をとっておられます)。

とりあえず、“二度山の採石場跡”だけはコンテンツの充実のためにも確認しておきたいと思い、お伺いしたところ、“下門(しもんかど)から石嶺に抜ける筋が登りきる前に右に入る道を辿って、秋葉山が祀られている辺り”ということでしたので、改めて出かけてみました。

辿り着いた場所が先ずこれで間違いないであろうと思われるところでしたので、“池田湖テフラ”のコンテンツを一部変更しています。池田には“池田石・大谷石”の採石場の遺構も残されていますが、地学的由来も岩相も全く異なる興味深い地質遺産です。



2019 1 20

これまで画像ファイルを使用していた“史談・史跡年表”を、一部を除いてテーブル形式に変更し、該当ページへのリンクを設けたインデックス仕様とする作業が完了しました。

更新としてはマイナーですけど、結構な手間でした。



2019 1 2

【今日はコンテンツの更新はないんですけど・・・】

新春恒例の魚見岳参りで天狗の祠無足明神への初詣を済ませた後、尾掛からせろん浜回りで帰ってきました。途中、 106震洋隊の出撃用スロープ の近くにある遺構の画像を確保。いつもどおり位置情報を記録したのですが、 アプリに記録されていた緯度・経度情報 帰宅後に 地図で確認してみると、アプリの緯度・経度が示しているのは弥次ヶ湯にある病院の敷地です。

怖い話でしょうか・・・。

魚見岳下の震洋隊遺構(1) 魚見岳下の震洋隊遺構(2)



2018 12 30

山王神社に合祀されている煙草神社 指宿はかつて県内生産量の 5割強のシェアを誇る煙草の産地でした。何れもが新しい遺構ですが、煙草神社の祠は、串木野の冠嶽の大岩戸神社の御神体を勧進して祀られたと伝えられています。“田良の豪商”のページの“指宿煙草の濱田金右衛門”の項に山王神社に合祀されている大正111922)年、品評会での 10度目の優賞旗獲得を記念して祀られた東方玉利の昭和131938 )年の祠の画像を加え、レイアウトを変更してみました。明治時代の指宿煙草に関する若干の情報も追加しています。

右の画像は十二町の大圓寺跡にある煙草神石塔。千手観音の御堂とブロック塀の間に押し込まれた気の毒な状態で保存されています。



2018 12 27

弥次ヶ湯に移設された旧黒岩家の門構え 昨日、田良の豪商であった黑岩家のご当主と改めてご一緒させて頂く機会があり、前回確認を怠っていた旧黑岩邸の門が移設された場所を確認してみたところ、うちから歩いて 10分もかからない場所でした。

画像を確保してきましたので、“田良の豪商”のページ(“調所広郷の下で骨粕方を務めた黑岩藤右衛門”の項)のレイアウトを変更しています。ただ、御主人が体を悪くされているようで、電話も差し上げたのですが、画像の使用についてのご許諾についての話が通じるに至らず、現在のところ実質無断掲載状態です。問題が生じる場合には、上のものを含めて画像は削除致します。

また、昨日の席上、揖宿神社宮司様より興味深い話を伺いました。このページで1120に取上げた十町田良公民館の移設の際、旧公民館に祀られていた多羅神社の御神体は、揖宿神社に納められたそうです。“魚見岳火山”のページの“周辺の史跡③:多羅神社”の項で、情報を補足しています。



2018 12 25

池田湖周辺の町興しに向けて観光資源を見直したいというご相談を受けており、来年早々にも鬼門平断層崖(池田断層)沿いの金鉱山/石切場跡を巡検してみようかと思っています。金鉱山跡が産業遺産となってしまった経緯には、第二次世界大戦にかけての複雑な国策変更の過程も背景にあるので、この機会に整理し直してみては・・・と思い、“産金業の興亡 ~第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての金政策~”のページを設けてみました(左のメニュー・バーの“地図から探す”では“鬼門平(古期南薩火山岩類)”のページの“金銀鉱山跡”の文中、“エピソードから探す”ではでは“(さ:)産金業の興亡”のリンク先となります)。

クリスマス・プレゼントに“金”ということで。

“指宿の金鉱山跡ギャラリー”の画像もいずれ新しいものを加えて整理し直す予定です。

内・外地産金量の推移(1916~48年)




2018 12 4

旧田良地区住居図-部分 先月“指宿八景周遊サイクリング・コース・マップ”を作成していて、サイトが田良の黑岩家の情報を欠いていることが気になっていました。薩摩藩の天保の改革を担った調所広郷の片腕、海老原清煕の進言で骨粕方に任じられた政商です。田良にあった黑岩家の門柱が海軍航空隊基地建設に伴う強制退去後に移設されたというお話をご当主から伺ってはいたものの、酒席での記憶がどうも曖昧で、未だに画像を確保できていないこともあったためにページを設けることを躊躇していました。思い切って“田良の豪商”のページを追加です。

ということで、手許にある限りの情報をまとめただけの“情報提供のお願い”のような内容になってしまったという後ろめたさもあり、オマケに指宿煙草の取扱いで一代で財を成した濱田金衛門の項を付け加えています。三代目が潰した新興の豪商ですが、“嗚呼、田良の里”にある旧田良地区の住居図の一部をみても、世代交代は歴然です。右の地図を下に辿れば、当然のことながら濱田家下屋敷もあります。



 

2018 11 20

二反田川沿いを散策していて、十町田良の公民館が取り壊されていることに気付きました。跡地に行ってみると、田良浜の旧多羅神社ゆかりの手水鉢も見当たりません。来年 128日までを工期とする十町区画整理街区造成工事が進められていたようで、既に人の気配もありませんでした。

市の都市整備課に問い合わせてみると新しい公民館も完工しているとのこと。おおよその位置を確認して訪ねてみたところ、手水鉢もその入口横に移設されていて一安心です。

新設された十町田良公民館と旧多羅神社遺構 “魚見岳火山”のページ、“周辺の史跡③:多羅神社”で使用している画像は変更していませんが、遺構の位置が変わった旨の説明を加え、Google My Maps®版の“指宿・頴娃ジオガイド・マップ”、“指宿八景周遊サイクリング・コース・マップ”の手水鉢(旧多羅神社遺構)の画像は今日拾ってきたものに差し替えて、緯度経度情報を修正しています。

1942(昭和17)年の揖宿海軍航空基地建設のための用地収用に伴い強制移転を余儀なくされた十町田良の皆様は、今回の区画整理で再び立ち退くことになりました。76年で二度目の移住です。

上の画像で公民館右側奥に見えるのは魚見岳。せめてもの慰めです。


2018 11 16

昨日、脇浦から花瀬にかけて散策し、花瀬から田ノ崎上に抜ける開聞岳登山道の途中で小岳の形が明確に確認できる画像が確保できたので、“885年噴火噴出物(開聞岳仁和の噴火)”のページに画像とエピソードを追加しました。

散策は、阿久根市に“阿久根七不思議”があることを知り、 花瀬側登山道からの開聞岳 その中の“大人(おおひと)の足形(天狗の足跡)”に似た伝承が指宿にも存在することを思い出したため、それを探してみようと思い立ったことによるものだったのですが、目的を達するには至っていません。今のところ確たる手掛かりもないことで、皆様のお知恵を拝借したく、“宿題”のページに“(かん)(わたい)の石”の項を追加しています。

画像は花瀬側登山道からの開聞岳。山頂の溶岩ドームが半分ほど鉢窪と小岳に隠れるので、見慣れたものとはかなり違った姿になります。



2018 11 9

高江山の牛舎への入り口にあるテフラ層の露頭 高江山に出かけましたので、頂上付近で確認できた画像を含む“高江山溶岩”のページを追加しました。“古期指宿火山群”に属する地質遺産とされているものの、情報は多くありませんから短編です。


右の画像は南薩東部広域農道から登山口に向かう途中で見かけたテフラ層の露頭。コンテンツとしては使用していませんが、牛舎への入口が切られたところにある新鮮なものです。



2018 10 21

Google My Maps®版“照國公足跡マップ@指宿”には、島津斉彬公(照國公)御詠の舞台となったと考えられるスポット、もしくはこれに代わる御詠にふさわしいスポットもプロットしているのですが、従前より長崎フルベッキ研究会の石田孝氏より、揖宿八景を組込む形での周遊ルートを考えることはできないか、というご提案を受けていました。候補地として管理人が捻り出したスポットの中には宮ヶ浜に残る歴史遺産が2ヵ所含まれ、散策コースとしては距離的に現実味がないという理由で二の足を踏んでいたのですが、先日石田氏が指宿に帰郷された際のFacebookへのご投稿(923日)に“サイクリング指宿八景2時間コース”と題した画像があったことで、なるほど自転車であれば・・・と今更ながらに気づき、ルートを改めて練り直してみました。自転車という交通手段が全く念頭になかったというのはお恥ずかしい限りです。

レンタサイクルで宮ヶ浜捍海隄へ 本日、JR指宿駅のレンタサイクルで、想定ルートに基づく遊覧が可能かどうかを確かめてみました。走ってみると車の交通量からみて危険を感じる部分もあったことで修正したため、電動アシストの利用が妥当ではないかという迂回部分が生じてしまいましたが、とりあえず、検証の結果これならば、というルートをまとめています。“Google My Maps®版”のページの“指宿八景周遊サイクリング・コース・マップ”です。

走行距離は約22Km となります。



 

2018 9 27

いちき串木野市に出かける用事があり、島平と照島を回って画像を確保できたので、“権現山成層火山体”のページの“白薩摩”の項にある“串木野の嶋平(現島平)”と“本(旧・舊)壺屋”の部分を若干の説明を加えた画像の小窓をpop-upで開く仕様としました。“串木野の嶋平(現島平)”のpop-upで使用している“薩摩焼開祖着船上陸記念碑”の画像に撮影者が映り込んでしまっている点はご容赦ください。

いちき串木野市には北側の薩摩川内市から入りました。岩永三五郎が薩摩に残してくれた拱橋のうち訪ねる機会のなかった八間川の江之口橋にも寄りましたので、“岩永三五郎”のページに画像を追加しています。この1枚は光と風に恵まれました。

下の画像は帰りに訪ねた日置市の美山。サイトのコンテンツとして使用してはいませんが、薩摩焼の参考画像です。

調所広郷・村田堂元招墓 沈壽官窯

2018 9 3

竹山は猫の右耳 ⚒F. IKGM 🌋@geoignさんが Twitter®で投稿されていた画像の転載と“うわじま牛鬼まつり実行委員会(宇和島商工会議所)”様のホーム・ページへのリンクについてのご許諾を頂きましたので、“竹山溶岩”のページの体裁を変更しました。

転載のご許諾を頂いた ⚒F. IKGM 🌋@geoignさんの Tweetにある右の画像の猫の右耳が竹山、左耳が鳶の口で、標高は各々202.0m203.7mなのですが、どの角度から見ても右耳のほうが高いように感じるのは管理人だけでしょうか。

管理人は愛媛の出で、竹山の印象は最初に見た時から宇和島の牛鬼だったものですから、猫耳竹山はとても斬新でした。牛鬼のイメージを浮かべにくい方もいらっしゃるかと思いますので、“うわじま牛鬼祭”のサイトを紹介させて頂いています。



2018 8 25

伏目海岸の池田湖テフラ層 台風19号、20号の直撃は免れたのですが、接近時に多少の風雨もあり、天候が落着くのを待って、7月の降雨の影響で崩落した伏目海岸の海食崖の状況を確認してきました。今回の台風による被害の拡大はなさそうで、露頭が新鮮なものとなったことと足元で間近に岩相を確認できるようになったことが悲しい喜びなのですが、依然として危険な状態です。お出かけの際にはお気をつけください。従来とは景観が異なるものとなっていますので、“池田湖テフラ”のページに現在の画像を追加しました。

帰りに竹山に回り、こちらも気になっていた放射状節理の現状も確認。特に被害を受けたようには見受けられませんでした。寧ろこちらは、一昨年の台風で剥落した節理の上の自生蘇鉄の株が、落ちた場所で根をつけていたようで、小さな朗報です。“竹山溶岩”のページの“自生蘇鉄の残骸”のリンク先を現在の画像に更新しました。



 

2018 8 12

“池田湖テフラ”のページの“うなっ()せご(西郷)どんのみっ()”のマップを作製した時から気になっていた、8・6水害で知られる“平成51993)年8月豪雨”の先行降雨により77日に崩落が発生して以降、完全に廃道となっていた部分の痕跡を辿ってみました。同行してもらった“縄文の森をつくろう会”の先輩会員に拠れば、鰻まで/から 0.7Km、指宿十二町から/まで 3Kmの標識のある地点辺りから鰻温泉に下っていたとのことで、そこから何とか通れそうだと思われるルートをプロットしてみたのが以下のマップです。崩落箇所を迂回しているところを除けば、或程度はかつてのルートを再現できているのではないかと思います。 鰻温泉旧林道の崩落部分

ただ、途中に何ヵ所か崩落を確認できるところもあり、かなり危険ですから、とてもお勧めできるコースではありませんので、あくまでもご参考まで。 鰻温泉旧林道の崩落部分




2018 7 11

鹿児島市清泉寺跡の金剛力士像 先月14日付で鹿児島市の清泉寺関連の情報追加を報告させて頂いていますが、その際、磨崖の金剛力士像の場所がわからないままになっていました。たまたま、“鹿児島よかもん再発見!”様が8日のTweetでサイト(https://kagoshimayokamon.com)の過去ログを紹介されていたものに、清泉寺跡金剛力士像へのアクセスが説明されていたのを見て再訪を決意。県営鴨池球場での第三試合に鹿児島実業-甲南戦が組まれていた昨日、清泉寺跡と鴨池の豪華二本立てを企てました。

ということで、“岩本村大和大明神石祠”のページの“淸泉寺跡(鹿児島市)”の項に金剛力士像の画像を追加しています。辿り着いてみると対岸の在家菩薩・妙有大姉像を臨める位置で、前回気付かなかったのは縁が無かったからとしか思えません。また、御本尊の阿弥陀如来を刻したとされる日羅についての説明が不足しているような気がしたので、脚注2を設けて若干補足しておきました。

明日の県営鴨池は、第一試合が指宿商業です。市営球場の鹿児島商業と時間が重なっているのが悩ましいところなんですけど・・・。



2018 6 14

鹿児島市清泉寺跡の宝剣磨崖 鹿児島市清泉寺跡の島津大和久章供養塔 鹿児島市に出かける用事があったついでに、先日、岩本の大和大明神の祠のページを追加してから訪ねてみたいと思っていた、島津大和久章の供養塔が祀られている淸泉寺跡に寄りました。寺院自体は廃仏毀釈で失われていますが、石造物群の保存状態は良好ですから、地域住民の方々の信仰を集め、慕われていたのではないかと思われます。

大和大明神のページに“淸泉寺跡”の項を追加し、残されている供養塔、磨崖仏の画像のいくつかをまとめてみました。供養塔には中興開山 字堂覺卍(かくまん)和尚のものも含まれています。



2018 6 13

鰻温泉と指宿市十二町を結ぶ林道脇の池田降下軽石露頭 先月のガイド・ツアーから 1ヵ月が経過してしまいましたが、佐賀の乱の戦線を離脱した江藤新平が鰻温泉に逗留中の西郷隆盛を訪ねたとされる指宿からのルートをプロットしたマップを作成してみましたので、“池田湖テフラ”のページに“うなっ()せご(西郷)どんのみっ()”の項を追加しました(“鰻池マール”のページとしていないのは、分類が地質遺産に応じたものとなっていることによるものです)。“うなっ・せごどんのみっ”は、“長崎フルベッキ研究会”の石田孝氏のご提案に基きNPO法人“縄文の森をつくろう会”が2013年に復元した廃道です。かつては木材の搬出に使用されていました。

参考情報として、明治61873)年の政変 についても若干の考察を加えています。

年に何度かガイド・ツアーを開催しておりますので、ご興味をおもちの方は是非ご参加ください。



2018 6 10

岩本村大和大明神石祠記碑文の一部 “開聞山古事縁起”が神道大系の神社編四十五に収録されていることに気付き、鹿児島県立図書館の蔵書を借りてきて内容をみたところ、枚聞神社の項の前に“重建岩本村大和大明神石祠記”とあるのが目にとまりました。岩本であれば、以前から気になっていた豊玉媛神社の謎の祠ではと、もしやと思い確認してみたところ、この石造物に間違いありません。右の画像は“郷人亦斯詩(ウタ)”から始まる碑文の最後の部分と紀年銘。祠に祀られているのは鹿児島市にあった淸泉寺から勧進された疱瘡の神様で、島津大和久章だそうです。

岩本村大和大明神石祠と重建記碑 コンテンツとして“岩本村大和大明神石祠”を加えてみました。本来の目的であった“開聞山古事縁起”の記載についても、他のページの内容に反映させる若干の修正を加えています。



2018 6 1

山川正護寺跡の斉彬公来村碑(聖駕奉迎記念碑) 今日61日は写真の日。島津斉彬公の肖像が天保121841)年旧暦61日に撮影された日本人による最初のもので、坂本龍馬の肖像等の撮影者として名高い長崎の上野彦馬の父俊之丞によるものという何を目的としたものかも量り難い捏造に因るものですが、当時の公は在府でした。山川大山の正護寺跡にある斉彬公来村碑は、幕命により公が弘化31846)年に砲台建設候補地を巡検されたことを記念する昭和61931)年のもの。この時が10年振りのお国入りで、天保7410日(1836524日)から弘化368日(1846730日)までは江戸にいらっしゃいましたから、天保12年に仙厳園でのお姿を残される筈はありません。


ということで“写真の日”のページを設け、正確な撮影日時が記録されている市來四郎(正右衛門)広貫の“島津齊彬言行録(国立国会図書館デジタルコレクション)”の文章を紹介させて頂きます。Google My Maps® の“指宿・頴娃ジオガイド マップ”と“照國公足跡マップ@指宿”にも正護寺跡(大山神社)を追加しました。

<補> 上のページの第5段落に設けた尚古集成館様のホーム・ページへのリンクについては、トップ・ページへのものではないため、念のために問い合わせフォームでお伺いを立てたのですが、送信から15分も経つか経たないかといううちに電話でのご許諾を頂きました。謹んでご厚意に甘えさせて頂きます。ありがとうございました。



2018 5 21

日置市鬼丸神社鳥居前の小型の拱橋 昨日、日置市吉利辺りを徘徊してきました。小松家(旧禰寝家)が太閤検地に伴い移封となった先で、根占にある鬼丸神社はこちらにもあり、廃仏毀釈によって廃寺となりましたが、園林寺、勝雄寺も置かれていました。園林寺跡には、肝属家から女婿に入った帯刀清廉のものを含む小松家/旧禰寝家累代の墓碑が保存されています。地質遺産がらみの話はありませんが、根占の延長での番外編として“阿多カルデラ噴出物”のページに“吉利”の史跡の関連情報を追加しました。

吉利からさほど離れていない久多島神社にも寄りましたので、“鏡池マール群”のページの天智天皇・大宮姫のエピソードに、参考画像として久多島神社仁王像も加えています。大宮姫が都から頴娃に向かわれる途中に産まれ、捨てられて大岩嶋(現在の久多島)となった姫の御霊を慰めるために設けられた社です。拉致事件で知られることになってしまった久多島は地質遺産としても魅力的な珪質ミクライトの島なのですが、残念なことにこちらは指宿・頴娃との縁がありませんので、そこには触れていません。ご興味をおもちの方は、以下の論文その他をご参照ください。 日置市吉利神社仁王像

大庭昇・富田克利・山本温彦・福元豊“鹿児島県久多島の地質,リン鉱床および構造的位置”,鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学),No.181985

尾上哲治・吉田麻美・坂本秀平“鹿児島県久多島,三宝山付加コンプレックスの深海・遠洋性石灰岩”,地質学雑誌 113 1号,2007

左の画像は吉利神社の仁王像。園林寺跡の近くにあり、出来栄えも見事なのですが、禰寝家との縁はなさそうなのでページでは採り上げませんでした。



2018 5 10

指宿神社に奉納された田ノ神サァ 指宿神社境内の模様替えのお手伝いをしたついでに、宝物殿に納められている田ノ神サァを拝見することができたので、“田ノ神サァ”のページに若干手を加えて画像を追加しておきました。

指宿神社前の田ノ神サァと依代の椋の木 そのページの下にある Google My Maps®版の“指宿・頴娃の田ノ神サァ”では指宿神社宝物殿の位置をプロットしていますが、元々は木之下地区にあったもので、間水神社と道を挟んで斜向かいという場所だったそうですから、堀井碑の横に祀られている田ノ神サァとは目と鼻の先です。シキの幅が細めで袴の丈も短めながら、かつて田ノ神サァの依代であった鳥居前の椋の木の下にある大正81919)年の新しい一体に似た趣があります。紀年銘を確認することはできませんでしたが、明治期のものだそうです。

さて、これでマップにプロットできていない田ノ神サァは瀬崎の2体となりましたが、どうも居所がつかめません。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご協力をお願い致します。



2018 4 28

関東かいもん会様に相互リンクについての打診を快諾して頂けましたので、ご厚意に甘え、

①“参考文献”のページに“関東かいもん会”様のホーム・ページとコンテンツのうち“開聞昔話”へのリンクを設け、“開聞昔話”のうち

関東かいもん会ロゴ ②“薩摩一の宮 枚聞神社由緒記”と“鳥居ケ原”を“鏡池マール群”のページの“枚聞神社”の項で;

③“玉の井”で紹介されている山幸彦・豊玉姫由来の地名を“福元火砕岩類”のページの“大宮姫と豊玉姫”の項で;

④“エヤンブシ”を“山川・成川マール”のページの頴娃山伏についての脚注10で;

⑤“枚聞神社 - 社伝来の神舞”を“田ノ神サァ”のページで;

参照させて頂きました。

“開聞昔話”には、皇后来(こごら)からの開聞岳登山旧道沿いにあると思われる頴娃山伏由来の“「大日」と彫られた岩”と巨人の足跡のある“(かん)(わたい)の石”も紹介されていますが、今のところ所在の見当をつけることができていません。何とかして画像を確保したい遺構です。



2018 4 20

久し振りに開聞岳に登ったので、サイトの画像の一部を更新しました。何れもマイナーな更新で、

① “開聞岳火山”のページの画像のうち“登山道脇のスコリア層(画像のリンク先の拡大画像を含みます)”。“溶岩ドームの仙人洞”の画像は変更していませんが、リンク先の画像を内部のものに差替えました;

② “ 885年噴火噴出物”のページの本文からのリンク先となっている“鉢窪(貞觀の噴火以前の火口跡)”の画像を更新;

開聞岳から望む池田湖越しの桜島 ③ “辻之岳・久世岳溶岩ドーム”のページの“久世岳・辻之岳・竹山・俣川洲の直列”の画像を更新;

④ “古期南薩火山岩類”のページに“鬼門平断層崖(池田断層)と入野溶岩台地”の画像を追加(本文も僅かながら変更しています);

といったところです。

右の画像は開聞岳から池田湖、鬼門平断層崖越しの桜島。サイトのコンテンツとしては使用していませんが、相変わらず活発な様子でしたのでご参考まで。

(追記:“開聞岳火山”のページには、23日に層位別マグマ噴出量のグラフを追加しました。)



2018 4 19

左のメニュー・バーに“サイト内検索”を試験的に付加えてみました(Google®。当サイトのコンテンツ限定です)。“エピソードから探す”ではキーワード(天智天皇、大宮姫,etc.)で該当するページが複数となる場合にもアクセス先を特定のページしか設定できない、という悩みへの対応策ですが、検索結果からアクセスすると別タブが開くため、その度にタブを閉じる手間がかかり、かなり鬱陶しいかとは思います。フリーのサービスですので上部に広告が表示され(例えば“大谷(おおたに)石”で検索をかけると、先ず“(おお)()石”を取扱う石材業者さんのサイトへのリンクや、大谷祥平選手のグッズを販売しているサイトへのリンクが表示されます(これはこれで魅力的ですけど)。広告サイトのリンク先は同一タブで表示されますが、ブラウザの“←戻る”ボタンを操作しなければ、検索ページには戻れません)、pop-upでの表示を想定しているページまで検索結果に表示されてしまうという問題もあります。

とりあえずお試しの上、改善策等のご意見、アドヴァイスをお寄せいただければ幸いです。

明日も今日のような天気であれば、久し振りに開聞岳に登ってみようかと思ってます。



2018 4 11

志布志市山宮神社 9日、10日と、少し足を延ばして宮崎に出かけてきました。帰りに志布志田之浦の山宮神社に立寄ったので、“鏡池マール群”のページで天智天皇に触れている部分に画像を追加し、そこからのリンクで境内の随神像をpop-up表示させる体裁としました。文章にも若干手を加えています。

宮崎行きは、半ばNHKの“ブラタモリ #100 宮崎”のおさらいのようなもので、阿蘇火砕流堆積物、尾鈴酸性岩類、青島互層、内海互層、鵜戸互層といった地質遺産を駆け足で遊覧してきました。阿多カルデラ、指宿火山群の地質遺産の紹介を目的とするこのサイトとの接点はありませんから、改めてページを設ける予定もないのですが、せっかくですから“宮崎 - 20184”として主だった画像をまとめています。今のところ、リンクは、この文章からのみとなります。

(追記:13日に拡大画像ページへのリンクを画像に設定。523日に左のメニュー・バーの“エピソードから探す”に“宮崎<番外編>”を追加しました。)

仰慕窟内部 波切神社不動窟内部

2018 3 29

松原田の観音山石造物群 松原(まっばん)()溶岩のページを追加し、営農研修館の敷地に保存されている観音山石塔群の画像も加えました。

昨日は、松原田から村石経由で赤水岳に回ったのですが、途中で手袋を無くしてしまいました。“フラワーパークかごしま”の売店ならば園芸用のものが置いてあるかもしれないと思って立寄ったところ、揃えてはおりませんとのこと。なら仕方がないと思っていたら、カウンターの方が、業務用なので少し汚れてますけどと、新品同様の軍手を無償で提供してくださいました。近いうちに改めてお礼に伺います。ありがとうございました。

赤水岳から下りたところでお会いした山菜取りの老婦人からは、頂上近くにお祀りしてある秋葉山にまつわる興味深いお話を伺ったので、こちらは“長崎鼻溶岩”のページに追加しています。先に聞いていれば、もう少し丁寧にお詣りしたのですが・・・。次に伺う際にはお供えをお持ちします。

赤水岳火山”のページのpop-up 画像も、一部昨日撮影したものに差替えました。 自生蘇鉄越しの赤水岳火山内部構造



2018 3 22

牟田砂入の田ノ神サァ 今日は田ノ神サァ探しに瀬崎に出かけたものの、空振り。仕方がないのでというのも不届きですが、小牧の八幡様にお詣りして花見を楽しんできました。“大野岳火山”のページの“廃仏毀釈”の項にある画像リンク先の小牧八幡神社仁王像を少し春めいたものとし、 曾山現爾社跡に祀られたと考えられる氏神社今更ながらに気付いた神社上の石造物群の画像を pop-upで追加しています。


ただ八幡様のご利益には与れたようで、帰り道に今まで見つけることのできなかった牟田砂入の田ノ神サァに巡り会うことができました。こちらはGoogle My Maps®の“指宿・頴娃の田ノ神サァ”に追加しています。牟田・十町田良地区の造成に伴い、現在は個人のお宅のお庭に祀られていますので、ご配慮ください。


また、その途中に寄った西方道下上の氏神社の画像も“魚見岳火山”のページ“多羅神社”の項のリンク先として pop-upで追加しています。曾山現爾社の参考画像です。



2018 3 10

今日のNHK“ブラタモリ”「#98 鹿児島」で大木公彦先生をお見掛けし、これまで思い切ることのできなかった“入戸火砕流堆積物”のページを追加することにしました。躊躇していた理由はただ一つ、「頴娃の南薩台地がシラスである」ことを示すために説得力のある画像を確保することができていないということで、これには“地図から探す”で表示されるマップの“大野岳火山”から“頴娃の波蝕棚”までのスペースを埋めたい、というレイアウト上の都合もあったのですが、たまたま昨日出掛けた瀬崎の画像も手許にあることで見切り発車に踏み切りました。

南薩台地の露頭を確認することができれば、画像は差替えます。

昨日の徘徊で、久し振りに小牧の八幡神社岩本の豊玉媛神社にも寄りましたので、“大野岳火山”のページの“廃仏毀釈”の項のリンク先画像も更新しておきました。


2018 3 7

岩崎美術館中庭に保存されている石像群のうちの一体 十二町にある岩崎美術館の中庭に21体の石像が保存されており、このうち18~19体が田ノ神サァですが、指宿由来のものではなく、岩崎グループ創始者の出身地である曽於市大隅町岩川地方でのコレクションです。Google My Maps®の“指宿・頴娃の田ノ神サァ”では“番外編”として色を変えて位置を表示しました。

シキの形や模様もこちらのものとは少し違うようですし、彩色が施されたものや烏帽子を被ったものもあります。紀年銘を確認できたのは下の画像で右端にある彩色の施されたものの左側に並んでいる女性像の大正二年のみで、他も比較的新しい時代の意匠が多いようですが、右の画像は随神像である可能性もあるかと思われるものの、中ではかなり時代が古いと想定されるものです。

大隅の田ノ神サァは、錦江町、南大隅町で見掛けたものをGoogle My Maps®大根占・小根占”にもプロットしていますので、そちらもご覧ください。

岩崎美術館中庭の田ノ神サァ

2018 3 4

源忠寺洞雲庵遺構 陽気に恵まれたので久し振りに町内見廻り。金毘羅神社の裏で畑仕事をされていた方におおよその位置を伺うことができ、これまで場所を特定できていなかった十二町の洞雲庵の供養塔に辿り着きました。 中小路原田の田ノ神サァ “大野岳火山”の“廃仏毀釈”の項にある画像からのリンク先ファイルのうち“十二町金毘羅神社”のページに手を加え、説明文から pop-upで画像を表示させる体裁としています。

帰る途中で神社横のお宅で作業中の方がいらしたので、これも探しあぐねていた中小路原田の田ノ神サァをご存知ではないかとお尋ねしたところ、田ノ神サァかどうかはわからないが、その先に神様が複数祀られている場所があるとのこと。訪ねてみると、これも当りでした(秋葉神社の遺構もあるようです)。Google My Maps®の“指宿・頴娃の田ノ神サァ”に位置をプロットしています。

なかなか収穫の多い一日となり、地区の皆様方には感謝しかありません。


2018 3 2

サイト開設から1年が経ち、スクリプトとコンテンツの記載内容を見直していたところ、“阿多カルデラ噴出物”のページの“頴娃の波蝕棚”の項でリンク先に使用している“エッガネ”の画像に特定の焼酎の銘柄が写り込んでいたのに気付きました。念のためにお伺いをたてたところ、指宿酒造総務課様よりご快諾を頂きましたので、このまま掲載させて頂きます。指宿では利右衛門さんがそのまま焼酎の銘柄にもなっています。



20172月のサイト開設から1年余りが過ぎ、体裁もそれなりに整ってきた20183月以降の更新状況を記録してFacebook®Twitter®での【更新情報】リンク先としています。

“縄文の森をつくろう会”の活動状況はこちらで。

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