堀切園層は、指宿火山群由来という訳ではなく、阿多火砕流発生時には既に陸化していたと考えられる湖沼の名残です。山下・大木(2012)[1]によって命名された湖成層で、下位より“下部”、“中部”、“上部”の3層に分類されていますが、“下部”と“中部”の層序を直接的に示す露頭は確認されていません(“中部”は“上部”に整合関係で覆われます)。
“下部”が不整合に覆う仮屋溶岩は、熱水変質を受けていないことから古期南薩火山岩類よりも新しい中期指宿火山群由来の輝石安山岩として川辺・阪口(2005)[2]により再分類されたものですが、模式地が池田仮屋の大迫インターチェンジ上り口に限られることで分布状態が明らかではなく、インデックス・ページで阿多火砕流以前の地質としているのは、川辺・阪口(2005)で引用されている小林哲夫私信で鬼門平断層崖に露出する阿多火砕流堆積物の下にあるとされる玄武岩降下スコリアが、山下・大木(2012)の“小田スコリア(仮称)”に対応するものであれば、これが堀切園層を覆うと考えられることで、堀切園層も大野岳火山の活動に近い時代に形成された地質と想定することができることによるものです[3]。
画像は、泥層を挟在する層状黒色凝灰質砂泥層で、海抜150m付近で観察される堀切園層の“中部”となりますが、“下部”は安山岩の礫を含む褐色砂礫層と層理の発達した褐色凝灰質砂層、“上部”は軽石層を挟在する層状褐色凝灰質砂層、塊状赤褐色凝灰質砂層等により構成されています。
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