池田火山

鬼門平から望む池田湖越しの開聞岳

池田湖は、周囲15Km面積10.9Km2、最深部233mのカルデラ湖で、約5,600年前に活動を開始したと推定される火山の火口跡です。景行天皇20年に開聞岳が噴き出した跡ではありません。“池田”という地名は、頴娃で崩御された(という伝承の残る)天智天皇の侍臣、池田少将が館を設けられていたことに因みます(開聞山古事縁起,神道大系 神社編 四十五,,神道大系編纂会,1987)。

池田火山と呼ぶ場合、池田湖から東南東に当る山川湾にかけての構造線上に分布する松ヶ窪、池底、鰻池、成川、山川のマール群、火山岩頸、溶岩ドーム等、完新世のデイサイト・マグマ噴出に伴って形成された一連の地形も含まれます[1]池田湖テフラは、池田火山の活動により堆積した池崎火山灰、()(さがり)スコリア、池田降下軽石、池田火砕流堆積物、池底・鰻池マール噴出物、山川火砕サージ堆積物、池田湖火山灰等の総称です。

池田湖の水位は揚水により標高66mの水準に保たれていますが、かつての形状は現在のものとは異なり、下の薩藩名勝志の挿絵が描かれた時代の湖面は、現在よりも7m強高い位置にありました。上の画像で池田湖の前面中央に緑が拡がる池崎も、明治時代の疎水工事による水位低下で耕作地となった地域で、薩藩名勝志の図版では手前の水面下です(“仙田溶岩”のページをご参照ください)。

薩藩名勝志鹿児島県立図書館蔵に“常に船を禁す”とありますが、三國名勝圖會は更に詳しく、

薩藩名勝志の池田湖図版 抑此湖や、神龍潜居する所なりとて、湖面風なきに波浪起り、或は水五色の文をなし、或は水上神燈を現し、或は夜陰舟船の往來するありて、種々の神變測るべからず、是等の亊は、沿湖の土人往々見る所にて、敬畏尊崇せざるものなし、古より舟船を浮ふるを禁じ、及ひ舟車滄海等を語談する亦忌む、若し是を侵せば、強風暴雨等の異變あり、又湖邊肩輿を禁ず、若し亊故に依て通行する者、必ず湖水の方には柴を掩ふて、慢らざるを示す、

三國名勝圖會 巻二十一 十六・十七

国立国会図書館デジタルコレクション

遊覧用のモーター・ボートが姿を消し、湖畔の観光施設が寂れてしまったのも、竜神の祟りによるものでしょうか。車で訪れる際にも“慢らざるを示”したほうがいいかもしれません。

6,600~6,500万年前頃のK-Pg境界(中生代白亜紀(Kreide<)から新生代古第三紀(Paleogene<)への移行期)に大量絶滅したと考えられている主竜類に属するとおぼしき水棲生物が、たかだか5,600年ほど前の噴火後に形成されたと推定される火口湖に棲息しているかもしれない、という時空を超えた怪談もありますし・・・。

 

余談:池田湖の案内板

鹿児島大学井村隆介准教授のTwitterから 指宿の観光スポットには各所に案内板が設置されており、池田湖畔もその例に漏れませんが、右の画像は、鹿児島大学 井村 隆介 准教授の現地案内板前からの“ツブヤキ(2017210日)”。クリックすれば、先生の撮影された画像をお借りし、若干手を加えたものが表示されます。

お断りしておきますが、案内板の文責は縄文の森をつくろう会にはありません。 鹿児島大学井村隆介准教授のTwitterから

  



先生の同日の“ツブヤキ”をもう一つ。

指宿にお越しの際にはお気をつけて。

 





[1] 稲倉寛仁・成尾英仁・奥野充・小林哲夫“南九州,池田火山の噴火史”,火山 第59巻 第4号,2014年。

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