池底溶岩

池底溶岩は、清見岳溶岩の噴出動直後(5~3万年前)に発生したと考えられている指宿火山群の中では最大規模の溶岩流の噴出物で、権現山から山川利永にかけての地形を広範に覆い、池田湖と鰻池の間では溶岩台地を構成しています。分布の形状により池底、鷲尾岳付近から噴出したと考えられていますが、池底マールを噴出源とするだけの根拠はありません。池田湖南東部で権現山成層火山体の火口状地形を埋めて池田湖に流下し、新永吉(しなげし)から()(さがり)にかけての急崖を形成。下の画像のうち右は発達した斜方/単斜輝石流紋岩溶岩の柱状節理を明確に確認することのできる新永吉側で、左(東)側後方に松ヶ窪・池底マールが位置します。左の画像は尾下側。先端に権現山成層火山体が露出しています(何れも画像クリックで拡大表示されます)。

尾下からの池底溶岩
新永吉の棚田越しの池底溶岩

川辺禎久・阪口圭一“開聞岳地域の地質(国立研究開発法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター,2005年,地域地質研究報告-5万分の1地質図幅 - 鹿児島(15)第100号)”で採用された試料の二酸化珪素(シリカ)とアルカリ成分の含有量は、こちらからpop-up表示される図に示す比率となっています[1]


帝国陸軍測量図 - 新永吉・尾下 噴出が53,000年前頃とされる清見テフラに覆われておらず、姶良カルデラ由来の大隅降下軽石(25,000~29,000年前頃)に覆われていることから5~3万年前の噴出物と推定されています。

池底溶岩の噴出源候補である池底は、明治時代の干拓工事が実施されるまで湖だったのですが、右の地図が作成された頃には既に陸地化していたようです。8・6水害(平成51993)年8月豪雨)の先行降雨により崩落が発生するまで、池田湖畔には新永吉と尾下を結ぶ道がありました。航空写真をみると、かなり視界の開けた路程であったようですが、植生の状況は当時とはかなり異なるものとなっています。


崩落前と崩落後の新永吉-尾下地区航空写真比較

2020126日追補】

新永吉と尾下を結ぶ径は、20201月、“池田を楽しむ会”の有志の皆様のご尽力により再び通行が可能な状態にまで復活しています。26日に池田小学校の生徒さん達のためのツアーが予定されているとのことでしたので、先生方のルート確認作業に同行させて頂きました。詳細を確認する余裕はありませんでしたが、池底溶岩、権現山成層火山体原面、尾下スコリア、池田降下軽石等の露頭を間近に観察できるようです。

取敢えず、今日確保できた画像を追加しておきます。緯度・経度情報も記録しておりませんので、改めて訪ねて情報の修正・充実を図りたいと考えています。

石造の板橋と当時のロープ、かつて稼行していた炭焼窯や鮎の養殖施設跡等の人工的な遺構も残され、天候に恵まれれば池田湖越しの開聞岳も望める魅力的なルートです。機会があれば、是非一度お訪ねになってみてください。
新永吉と尾下を結ぶ生活径の露頭_1 新永吉と尾下を結ぶ生活径の露頭_2 新永吉と尾下を結ぶ生活径の露頭_3
新永吉と尾下を結ぶ生活径の露頭_4





[1] 中村真人“指宿火山地域における新しい火山活動の可能性(火山 第2 25 3号,1980年)で採用された試料の二酸化珪素(シリカ)、アルカリ成分含有量は各々67.9%6.6%で、デイサイト質です。

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