松原(まっばん)()溶岩

松原田溶岩(Mbl)は、藤野・小林(1997[1]で命名された、開聞(じっ)(ちょう)松原田地区の地質です。十町溶岩(Jclの東で新川にかけ広範に分布し、溶岩台地地形を形成していますが、耕地化が進んだことで露頭は多くありません。開聞岳テフラ層位7a3に覆わていることから2,300年ほど前の噴火活動によると考えられる橄欖石斜方/単斜輝石玄武岩溶岩で、同11a・bの下位にある十町溶岩(1,500年前頃)よりも古い地層です。

松原田溶岩の露頭

松原田の観音寺石造物遺構群 川辺禎久・阪口圭一“開聞岳地域の地質(国立研究開発法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター,2005年,地域地質研究報告-5万分の1地質図幅 - 鹿児島(15)第100号)”で採用された試料の二酸化珪素(シリカ)とアルカリ成分の含有量は、こちらからpop-up表示される図 に示す比率となっています。

松原田にはかつて観音寺があったとされ、その遺構と思われる石造物が観音山(かんどんやま)の営農研修館敷地内に保存されています。六地蔵塔にある紀年銘は大永ニ年壬午八月(152291~29日)。アステカ帝国滅亡の翌年ですが、寺院が存在していたことが確認できる延享三(1746)年の開聞山古事縁起(神道大系 神社編 四十五,神道大系編纂会,1987)にも“已下皆廢壊寺院”の一つとして挙げられるのみで、正確な建立・廃寺の年代等は詳らかではありません。紀年銘には藤原姓が見え、藤原氏の一族がこの地域に流れてきたという伝承もあるようです。




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[1] 藤野直樹・小林哲夫“開聞岳火山の噴火史”,火山 第42巻 第3号,1997

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