古期南薩火山岩類

鬼門平断層崖露頭

指宿市の北側には、共に古期指宿火山群に属する高江山の東側から矢筈岳の南側にかけ、北東-南西方向に池田断層[1]が薩摩半島を横切っています。その北側には、分水嶺を構成する三巣山(古期南薩火山岩類)、吉見山、尾巡山、種尾山(何れも新期南薩火山岩類)といった山地の尾根の間隙を阿多カルデラ火砕流堆積物が埋める、指宿市のものとは異質の地形が広がっているのですが、この断層によって形成された鬼門平(おんかどびら)断層崖に沿って、指宿側でも古期南薩火山岩類を観察することができます。

下の画像で、池田湖の北側(画像左)から続く断層崖の西側(左下)に見える台地地形を形成する溶岩体は入野溶岩ですが、鬼門平断層崖との間に宇井(1967[2]にある“南落ちの東西断層”が存在しているか否かは確認されていないようです。

開聞岳からの鬼門平断層崖・入野溶岩台地と池田湖越しの桜島

鬼門平の鬼の覗き窓 鬼門平のキレット越しの池田湖と開聞岳 山体の標高は306.9m 510~670万年前の角閃石安山岩の岩体で、断層は、290万年前頃の中期南薩火山岩類形成末期に発生した火砕流によるものと考えられています。何れも指宿には珍しい、天孫降臨以前の露頭です。

登山道は、池田から小牧に抜ける山の西側を走る車道の途中(N31.27194E130.56005辺り)にあり、そこから10分ほど登れば尾根道になります。“鬼の抜け道”を過ぎ、“鬼の覗き窓”の上を回り込む“鬼の抜け穴”をくぐって頂上を目指す、直線距離で720m程の行程です。所々にかなり深い亀裂や陥没もありますので、足許には充分にお気を付けください。

池田火山(池田湖)のページにある池田湖の画像は、鬼門平頂上近くからの眺望です。

スポットは“鬼”尽くしですが、昔は天狗伝説もある山でした。

又天狗の栖止する處なりとて、夜中或は笙笛の聲ありといふ、

三國名勝圖會 巻之二十一 十六 鬼門の嶽

国立国会図書館デジタルコレクション

 

かつて鬼門平はMATSUMOTO1943)が想定した阿多カルデラの西縁とされていましたが、この説には疑問がもたれています。

池田火山の噴出物に覆われているため地表での露出はないものの、地熱開発を目的とするボーリング調査によって、山川の西部を構成する台地の地下には古期指宿火山群由来の山川層が拡がっていることが確認されており、その一部は浮遊性有孔虫や貝等の海棲生物の化石を含む海成凝灰質泥岩です。この地層は、ボーリング調査の北端となった池田湖北岸の池田字立割3537でも確認されました[1-柱状図]。鬼門平断層崖から直線距離で700m足らずのところです。つまり、MATSUMOTOの阿多カルデラが活動を開始した時には既に鬼門平断層崖は存在し、その下まで海が侵入していたことになります[3]

MATSUMOTOの阿多カルデラ火砕流堆積物の露出が壁面に確認されることもあり、鬼門平断層崖は、錦江湾を形成した地塁-地層構造が発達した火山性陥没の縁とする説が現在では有力です。

古期南薩火山岩類は、断層を挟んで矢筈岳に接する開門十町北側にも露出しており、断層崖の景観は、新春に催される“いぶすき菜の花マラソン”のコースからもお楽しみ頂けます。

鬼門平断層崖(愛宕岩十町側)
鬼門平断層崖(愛宕岩苙口側)

 

金銀鉱山跡

大谷金山跡の石塔と山神板碑 鬼門平のような角閃石安山岩の岩体は、唐船峡の西に当る(おろん)(くち)[4]の北側にも分布しています(愛宕岩)。その間の断層崖には大迫から烏帽子岳にかけて凝灰角礫岩、火山礫凝灰岩により成る古期南薩火山岩類が連なり、何れもが強い熱水変質を受けた小規模な金銀鉱山が点在する地層です[5]。湧水処理が困難であったことから現在は全て廃坑となってしまいましたが、鬼門平断層崖周辺は、指宿市の産業遺産帯でもあります[6]。殆どは明治期以降に稼行したものですが、 大谷金山坑道跡 大谷の銀については藩政時代の記録も残されています。


銀山有所之事

一 今和泉池田村之内大谷 右銀気有之、宝暦六年二月試吹被仰付、正銀三匁三分吹調、宝暦十年辰八月山床御取揚被仰付候

薩藩政要録 六 七十五鹿児島県立図書館蔵



もっとも、藩政時代の弘化元(1844)年に発見と同時に開始された採掘は、3年後には技術的な障害により休止。本格的な再開は、40年後の明治201887)年に新鉱脈が発見されたことに伴う三井金属鉱業㈱の鉱業権取得によるものでした。

下の2葉も大谷鉱山跡に残る産業遺産。画像クリックで、他の金鉱山跡の画像をまとめたページにジャンプします。

大谷金山遺構 大谷金山遺構

 

池田石・大谷(おおたに)

池田石採石場跡 池田石は大谷鉱山の鉱脈の母岩となっている軟質の凝灰岩で、鉱化作用により赤味を帯びていることから、“薩摩錦紅石”とも呼ばれていました。池田石採石場跡の近くには、より硬質の大谷石の採石場跡も残されており、かつて両者は明確に区別されていた可能性があります。

指宿市誌(指宿市役所総務課市誌編さん室,1985年)には“採石場一帯では岩相変化が大きいが、全体的には淡黄色で軽石・安山岩片・花崗岩片を含み、山川石と全く同一”との記載がありますが、“淡黄色”の石材が“薩摩錦紅石”と称されるとは思えません。

大谷石採石場跡 無瀬浜に広範な露頭のある山川石(福元火砕岩類)の生成時期については、阿多カルデラ噴火以前とする説と、以降とする説があり、“以前”とする成尾英仁・小林哲夫“鹿児島県指宿地域の火山活動史:阿多火砕流以降について:火山および火山岩(日本地質学会学術大会講演要旨 901983325日)”は“特有の黄色をした同一岩相、鉱物組合せの火砕流堆積物が北西部の鬼門平断層崖沿いにも広く分布することがわかった。そして少なくとも断層崖の一部を構成する小浜溶岩におおわれていることから阿多火砕流以前に噴出したものである”としています。“特有の黄色をした”石材は“薩摩錦紅石”ではなく大谷石を指す可能性が高いのではないかと考えられるものの、指宿市誌同様、両者の組成分析等の根拠は示されていません。

池田石採石場周辺に残されている大谷石ではないかと思われる遺構には、上の“金銀鉱山跡”の項にある“大谷金鉱山跡の石塔(台座部分はコンクリートで補修されています)”と石塔の右手前に見える正面に“山神”と彫られた駒形の石板の他にも、“菅山の方柱塔”があるのですが、こちらは案内板に“山川石が使われてい”るとあり、岩石組成が詳細に分析されることなく、曖昧に混同されているのではないかといった印象があります。今後の検討課題です。

 

菅山の方柱板碑 菅山の方柱塔:紀年銘は“龍渓玄●ノ爲ニ天文十八己酉酉十一月十五日15491213日)。フランシスコ・ザヴィエルがヤジロー(Anjiro)を伴って坊津に来航した年です。伝承では、この土地の領主であった菅山家の次男が出水で出家した後にこの地に戻り、法華経69,300字の石板を刻み続けたとのことで、石柱塔を探していた時にたまたま御在宅で案内して頂いた吉元様は、菅山家の分家の流れであるとのことでした。龍渓とあるところをみると臨済宗でしょうか。正面には 悟りを示す円相の中に“心”の文字があります。 宮ヶ浜の方柱板碑

伝承が正しければ、他に69,299の石柱塔が残っている筈ですけど・・・。


菅山の方柱板碑に酷似した遺構は宮ヶ浜にもあり、こちらも個人のお宅の敷地内に祀られています。天文10年から1411月(1541~45年)にかけて宮ヶ浜で法華経を広めたことが記録されていますが、円相に“心”とある意匠は同じですから、菅山家のものとは別の、若干早い時期の布教活動かと思われます。

ご主人のお話では山川石の碑ということでしたが・・・、いかがでしょう。


池田石採石場跡の動画はこちら。周辺には、狭い地域に多数の産業遺産が分布しており、“指宿・頴娃ジオガイド・マップ”に全てをプロットすることには煩わしさがあるため、別途、“池田石採石場跡周辺マップ”を作成してみました。

池田石、大谷石については、金銀鉱山跡と共に追加情報を収集中です。





[1] 新エネルギー総合開発機構“地熱開発促進調査報告書 No.11 池田湖周辺地域”(山川層については、第Ⅱ-2-11 N58-ID-2 地質柱状図(7-3等),19863月。池田断層は、鬼門平起震断層として、今後30年以内の将来活動確率約2%の活断層に分類されています(産業技術総合研究所活断層データベース)。
[2] 宇井忠英“鹿児島県指宿(いぶすき)地方の地質”,地質学雑誌 第73巻 第10号,196710
[3] 吉村雄三郎・伊藤寿恒“鹿児島県山川町伏目地区における地熱探査とその開発”,資源地質 445),1994
[4] (おろ)”は、馬を囲い込むための土塁で、かつてはかなり大規模な放牧地が設営されていたであろうことを偲ばせる地名です。大隅半島側の垂水市(くぬぎ)(ばる)地区には、苙に見立てた穴を砂浜に掘り、馬(子頭)と、馬を苙から追い立てる侍(親頭)に分かれて男の子達が競う“(おろ)()め”という旧暦の端午の節句の行事が伝わっています(文化庁“文化遺産オンライン”登録無形民俗文化財)。穴の一ヵ所に設けられる階段状の出入口が苙口です。牧畜が盛んであった頴娃にも“苙マエ”という旧暦715日に行われる同様の行事があったようですが、こちらは途絶えてしまいました。
[5] 宇井忠英“鹿児島県指宿(いぶすき)地方の地質(地質学雑誌 第73巻 第10号,196710月)” は、鬼門平断層崖沿いの熱水変質を受けた火山岩・堆積岩を一括して“苙口(おろくち)層”と称しており、ここでいう“古期南薩火山岩類”にほぼ一致します。
[6] 古宇田亮一“池田湖カルデラ西方金銀鉱床群”,地質ニュース 410号,198810月;浦島幸世・池田冨男“布計,大口,菱刈,黒仁田,花籠各鉱床の氷長石のK-Ar年代”,鉱山地質 371987

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