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仙田溶岩は、池田湖南西部に位置する仙田地域に分布する池田火山噴出物で、角閃岩斑晶を含むデイサイト溶岩です。唐船峡東部の池田湖沿いの道路で露頭を確認できます。
池田テフラに覆われていますが、指宿火山群との関係を判断できる露頭はないようです。角閃石斑晶が指宿火山群由来のものではないこともあり、池田火山の活動初期の地質と考えられていますが、年代値を示すデータはありません。
仙田は唐船峡の名水で知られるところで、“京田湧水”として環境省の“平成の名水百選”にも認定されました。
京田湧水は池田湖の伏流水ではないかと考えられていますが、確認されるには至っておらず、その水量と池田湖の水位の関連性については、阿部(1972)[1]等の観察・検証結果が報告されています。
仙田溶岩を穿った鳥越堀切は、閉塞カルデラ湖であった池田湖を開放湖とした灌漑工事の水路跡です。安政4(1857)年、仙田地域の灌漑と池田湖北部低地の開墾を目的として、島津斉彬により発案された、とも伝えられていますが[2]、斉彬は翌1858年に死去。明治維新を挟んだ混乱もあり、本格的な工事が実現するのは明治5(1872)年。県令大山綱良によるもので、目的には天璋院篤姫がNHK大河ドラマで取り上げられたことで知られるに至った今和泉の困窮士族救済も加えられました。完工は1876年。堀切下に県令の功績に謝する決湖碑が残されています[3]。
池田湖北部の池崎は、疎水開通後に開田された地域です。
YOSHIMURA(1938)[4]には、疏水により湖面が30m低下したとありますが、その根拠は示されていません。水位が現在よりも30m高い位置にあったとすれば、池崎地域だけではなく、小浜の馬頭観音の10m下辺りまでが水面下にあったことになりますから、信憑性のある記載とは思えません。決湖碑には、開通により湖水面が一丈(3.03m)ばかり低下した旨が記されており[5]、1909年には堀切水路床、1955年には仙田水門床の掘下げ工事も実施されました(各々6尺≅1.8m、0.9m)。
中尾(1987)[6]は、現地の汀線痕、湖岸段丘、及び古老への聴取り調査等に基き、ポンプ揚水開始後と鳥越堀切開設前の水面差を7.5mと想定しています。
長井温泉[7]にあった島津家の指宿別墅は、天保2(1831)年、27代斉興によって二月田に移されました。
28代斉彬は、嘉永4(1851)年に島津家当主となり、二月田別墅には、その翌年頃には田良の黑岩家によって二俣山からの約5.5Km(五十町餘)の距離を石樋でつなぐ水道が設けらたようですが、安政5(1858)年の滞在時に大旱魃を経験。農民の疲弊を憂い、97本の井戸を穿つことを郡奉行見習に命じて、指宿の利水環境を整備します。
当時の井戸は明治・大正期の耕地整理に伴い埋め戻されてしまいましたが、工事翌(1859)年4月に功績を記念して建立された堀井碑は現在も残っています。画像の中央が、当時の堀井碑。劣化が進んだことにより、昭和12(1937)年、碑文を再刻すると共に、大正11(1922)年の東郷平八郎元帥の添書が加えられた手前のものが建てられました。
安政の工事の際に井戸の設営を指揮し、堀井碑にも名前を残す郡奉行見習は東郷吉左衛門実友。元帥の実父です。安政5年は日米通商条約が締結された年で、3月、斉彬は山川に咸臨丸を迎えに出向いていますが、その年の7月16日(新暦8月24日)が命日となりました。
昭和の堀井碑には、背面をまたぐ形で、島津斉彬の指宿八景[8]八首が刻まれています。
指宿八景御詠、嘉永4(1851)年の山田爲政御供日記(斉彬公史料4,鹿児島県史料,鹿児島県維新資料編さん所,1983)等に基く“照國公足跡マップ@指宿”を作成中ですが、いろいろと不確実な部分がありますので、ご意見をお寄せ頂ければ幸いです。
詠まれた松を特定しがたい“孤松夜雨”は諦めかけていますが、“鼓橋夕照”でも苦戦しています。“鹿児島県維新前土木史(鹿児島縣土木課, 1934年)”に拠れば、鹿児島市の五石橋架橋で知られる肥後の岩永三五郎が二反田川(大字十町字宮)に架けた橋(二月田橋)は、径間24尺(7.27m)、拱矢9尺(2.73m)、幅11尺3寸(3.42m)の缺圓拱(櫛型)とあり、“鼓の橋”であった可能性が高いと考えられますが、1934年にコンクリート橋に架け替えられました。国道226号線に架かる現在の第一二月田橋の場所かとは思われるものの、既に昔日の面影が失われていることに加え、その辺りの字は“宮”ではありません[9]。マップは今のところ、同じく岩永三五郎による、宮ヶ浜の湊川橋に代替させる形としています。指宿に残る拱橋(アーチ型橋梁)については、別途ページを設けました。
こちらは 2018年9月に作成したパンフレット。揖宿八景御詠ゆかりのスポットを周遊する JR指宿駅~宮ヶ浜捍海隄往復のサイクリング・コースも考えてみましたので、Google My Maps®のページもご参照ください。
巻之四“今和泉郷池田村ノ池水田地用水灌漑御着手事”,岩波書店,1944年11月5日
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