矢筈岳火山

矢筈岳主山体 矢筈岳の凝灰角礫岩体 南九州市頴娃と指宿市開聞十町をまたぐ矢筈岳は、西側で鬼口溶岩(古期指宿火山群)、東側で池田断層を挟んだ古期南薩火山岩類に接する、山の字の形をした火山体です[1]。北東部が池田火砕流堆積物に覆われ、成層火山体であったと考えられる矢筈岳火山自体の原面もほとんど失われていますが、荷辛地峠から開聞入野に抜ける道沿いに安山岩・デイサイト溶岩の露頭があり、山頂近くにある柱状節理をもつ同質の凝灰角礫岩体を、開聞岳の885年噴火による沖積層である海岸砂丘が拡がる物袋(もって)[2]付近から間近に確認することができます(右の画像は、クリックすれば拡大されます)。

鬼口溶岩よりも多少新しい、110±10万年前頃に形成された古期指宿火山群に属する地質と推定されています。





[1] “矢筈岳火山”は、川辺禎久・阪口圭一“開聞岳地域の地質(産業技術総合研究所 地質調査総合センター,2005年)”で採用された新称で、宇井忠英“鹿児島県指宿(いぶすき)地方の地質(地質学雑誌 第73巻 第10号,1967)”の“矢筈岳溶岩”、通商産業省資源エネルギー庁“昭和59年度広域調査報告書「南薩地域」(1985年)”の“矢筈岳安山岩”にほぼ対応します。
[2] 地名は、大宮姫の女官として共に薩摩に下った物袋(持台(もって))御前が身を寄せた寺があったという伝承に由来しているようです。大宮姫には立髪(たてがみ)御前も同行しており、物袋御前が鏡台係、立髪御前が整髪係であったとのことです。薩洲頴娃開聞山古事縁起(神道大系 神社編 四十五,神道大系編纂会,1987)に拠れば、立髪御前は鹿籠郷西海辺りにお住まいだったようです。鹿籠は、鹽土ノ翁が山幸彦に与えた無目籠(まなしがたま)を造られた場所であることに因む地名のようですが、場所を特定しかねています(枕崎市に鹿篭(かご)という地区がありますが、枕崎が当時の通勤圏内とは思えません)。

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