今和泉火砕流堆積物(lm)は道の駅のある観音崎でMATUMOTOの阿多火砕流堆積物 を覆い、池田断層が錦江湾に及ぶ辺りから南東の外城市にかけて形成された海食崖沿いにも分布する非溶結の斜方/単斜輝石デイサイトです。二酸化珪素(シリカ)とアルカリ成分の含有量は、 こちらからpop-up表示される図に示す比率となっています。
宇井(1967)[1]は“今和泉集落東端の海岸”で“最も堆積物中の軽石塊の量が多く、また外来岩片の量も多く直径も大きいが、観音崎、外城市にむかうにしたがって減少する”ことから噴出口は浜西(宇井(1967)では“今和泉集落東端”)に近いと推定しています。地質図では観音崎と浜西の間に今和泉火砕流堆積物の露頭は認められず、今和泉火砕流由来と考えられる噴火時に破砕された粗粒堆積物(ラグブレッチャ)の分布に基く説と考えられます。
MATUMOTOの阿多火砕流堆積物の上位にあることは層序より確認できますが年代値は明らかでなく、NAGAOKA(1988)[2]の図では田代火砕流堆積物と共に8万年前頃の地質として分類されています(田代火砕流堆積物は大隅半島側に分布しているため、両者の層序関係は不明です)。一方、この図にはその上位に鬼界カルデラの長瀬火砕流由来の鬼界葛原テフラがあり、その年代値は熱ルミネセンス法、フィッション・トラック法により9万から9万5,000年前と計測されています[3]。川辺・阪口(2005)[4]の 10万年前が今和泉火砕流の発生時期としては妥当な推計値でしょうか。残念ながら指宿で今和泉火砕流堆積物の上位に観察できるのは左下の画像で黒く帯状に確認できる大隅降下軽石、その上位にある入戸火砕流堆積物といった年代値のかけ離れた地質です。
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