鬼口溶岩

瀬平越しの開聞岳
鬼口の波蝕窪

矢筈岳の活動よりも古い時代に噴出したと考えられる110万年前頃の古期指宿火山群に属する南九州市頴娃の鬼口(おにぐち/おんのくち)の地質遺産。兄が率いる薩摩隼人を服従させた山幸彦火遠理(ほおり)(のみこと)(ひこ)火火出見(ほほでみ)(のみこと))の治政(BC1474,593~BC836,701年の637,892年間)の時代です。急冷縁をもつ角礫に変質した溶岩が海岸に露出しており、溶岩が水中に流下したと考えられています。

 

左箙(瀬平)観音像 現在はバイパス架橋により国道226号線で結ばれていますが、頴娃の郡の頴娃郷と開聞郷の間にある()(びら)(瀬平)は、かつて海に入り込む岸壁に阻まれた通行の難所でした。鬼口側から開聞岳を望む構図には歌川広重の“東海道五拾三次之内由井 薩埵(さった)嶺”、“五十三次名所圖會 十七 由井 薩多嶺親しらず”を連想させる趣があります。瀬道が整備されたのは元禄41691)年のことで、石工安衛によるものと伝えられています。矢筈岳壁面の窪みにある観音像は、これを感謝した村人により、通行の無事を祈願して納められたものです。橋の下には当時の遺構が一部残っています。

鬼口溶岩露頭
長崎の波蝕崖越しの開聞岳




Copyright © All rights reserved.