「指宿・頴娃ジオガイド」コンテンツ更新情報

 

2022 12 20

大木先生講演会案内    都城というと伊集院忠棟入道幸侃の島津家久(忠恒)暗殺未遂事件や、その子 忠真の庄内の乱を真っ先に連想してしまうのですが(次点で北別府投手)、今回は先週末に旧都城島津邸敷地内の石蔵にあるキャフェで開催された霧島ジオパーク推進連絡協議会主催の大木公彦先生講演会の覚書です。

マクラは“シラス”。非溶結の入戸火砕流堆積物を指すものとする傾向が強いものの、岩戸火砕流堆積物、鳥越火砕流等、類似の外観を呈するものは総じて“シラス”と認識されているので入戸火砕流堆積物はそれを代表するものに過ぎない、というお話です。以下の論文等で大凡の内容を推し測って頂けるのではないでしょうか。

大木公彦“シラスを知り・活かす”,Nature of Kagoshima Vol.37,鹿児島県自然愛護協会,2011516

太田良平・竹崎徳男“シラスに関する諸問題”,地学雑誌751号,1966225

お話はシラスを噴出させた火砕流から発生源のカルデラ経由で、入戸火砕流起源ながらも非溶結のシラスではなく溶結した凝灰岩へ。例として挙げられたのは、

✔志布志夏井海岸の採石跡と大崎町横瀬10号前方後円墳から出土した白石の刳抜式舟形石棺;

✔曽於市の溝ノ口洞穴の地質構造と堆積様式。

20219月に訪ねた夏井海岸の画像と石棺に関する論文へのリンクはこちら。溝ノ口洞穴の地質構造と堆積様式については、以下の論文等をご参照ください。

大木公彦監修“溝ノ口洞穴”,曽於市教育委員会社会教育課文化財係

大木公彦・前田利久“県指定天然記念物「溝ノ口洞穴」の地質学的特徴”,Nature of Kagoshima Vol.41,鹿児島県自然環境保全協会,2015331

大木公彦・早坂祥三“鹿児島県下における火砕流堆積物の堆積様式の一考察”,鹿児島大学理学部紀要.(地学・生物学),1973121

下の画像は会場に伺う前に立寄った溝ノ口洞穴。崩落の危険性があるため入口周辺にしか立入ることはできませんが、入戸火砕流堆積物(It)の中部層が溶結して天井となり、非溶結の下部層(大隅降下軽石)の浸食と溶結部の崩落によって形成された209.5mの洞穴です。溶結部には火山ガス・水蒸気の吹抜けパイプが多数存在しています。 溝ノ口洞穴

ちなみに、入戸火砕流堆積物の下位で溝ノ口洞穴の基盤部分となっている加久藤火砕流堆積物(Kt)は、曽於市で桐原の滝、三連轟の滝、溝ノ口滝が下る溝ノ口川、関之尾滝のある都城市の庄内川の河床で観察することができます。下の画像も講演会当日のものです。 曽於と都城の滝

溶結した入戸火砕流堆積物の代表的露頭として他に

✔曽於市(たから)()の上鶴橋(以前訪ねた際の画像をこちらからpop-up表示しますが、装備不十分で河床に降りられなかったため満足のいくものではありません);

✔霧島市の犬飼滝(和気神社の藤を観に行った際に立寄っている筈なのですが、画像が見当たりませんでした);

✔霧島市真米の天降川甌穴群と貫(201912月の鹿児島県地学会地質見学会の記録はこちらからご参照ください);

✔何故か離れた地域で溶結した露頭に刻まれた南九州市川辺の清水摩崖仏と高田石石切場跡

も紹介されました。

碇山石採石場跡 さて、ここからは南九州の石材の多様性、

✔本坊酒造津貫貴匠蔵(加世田市)・黎明館庭園敷石(鹿児島市):碇山石<川内火砕流>

✔児玉醸造石蔵(垂水市):荒平石・赤石<阿多火砕流>

✔尚古集成館・西田橋(鹿児島市)・山田の凱旋門(姶良市):小野石<加久藤火砕流>

のスライドを使った各石材の特性の説明から始まりました。

右上の画像は薩摩川内市の住宅街の奥にある碇山石石切場跡。使うあてもなくお蔵入りとなっていたものですが、ここにきて日の目を見ようとは・・・。

尚、赤味を帯びて脆い“荒平石・赤石”は、後のお話で同じく阿多火砕流堆積物ながら色相と風化耐性の異なる花尾石が出てくることを前提とした“仕込み”です。

ということで〆は島津家墓所の石材。

福昌寺の宗家供養塔群山川(やまがわ)石(福元火砕岩類)はよく知られていますが、京都の今熊野観音寺に祀られている島津義久銘の持明院(じめ)さぁの逆修塔とも伝わる慶長三(1598)年の五輪塔も山川石(この項の最後にリンクを設けた大木先生の論文に画像が掲載されています)。島津宗家の 6・7代は総州家と奥州家で立てられており、総州家の供養塔は6代師久以降 山川石ながら、奥州家6代氏久の多宝塔は阿多の黒色溶結凝灰岩“花尾石”だそうです。鹿児島市郡山の花尾石については202012月の鹿児島県地学会郡山地学見学会の項、志布志の黒石については20219月の覚書をご参照ください。下は大木先生にご案内頂いた202012月の見学会時のスナップで、右奥に見えるのが講演で触れられていた“花尾”神社境内の丹後局多宝塔。他の石塔群を含め、阿多の黒色溶結凝灰岩です。荒平石に馴染んでしまった指宿在住の管理人にとって風化耐性の高い“黒い阿多”は衝撃的でした。 花尾神社石塔群

重豪公供養のため重富島津家の奉納した(たん)鼕々(たど)石<吉野火砕流堆積物>の燈篭と加治木島津家が奉納した黒色阿多火砕流堆積物(桃木野石?)の燈篭の風化耐性の差を納得させられる画像も甚だ興味深いものなのですが、今更ながら重豪公供養塔の画像が手許にないことに気付いてしまいました(燈篭の画像は大木先生の下の論文に掲載されています)。改めて福昌寺を訪ねて確認してみます。

一門家墓所の石材についてのお話は概ね以下の流れでした。

加治木島津家: 初代~2代:撻鼕々石

3代(宗家よりの養子)~:花尾石

明治以降は黒御影(下門火砕流)・花崗岩

垂水島津家:    花尾石

重富島津家:    鍋倉火砕流溶結凝灰岩(二瀬戸石

都城島津家:    初代~8・10代:加久藤火砕流堆積物

9・11代:不詳(撻鼕々石??

13・14代:阿多火砕流黒色溶結凝灰岩

明治以降は花崗岩

都城島津家は島津家4代忠宗の子 資忠を祖とする北郷氏で、島津姓に復すのは寛文三(1663)年北郷17代忠長の時代ですからいろいろとややこしいのですが、先生のお話は資忠を初代としていますので、そのようにご理解ください。

この他、支笏カルデラと北海道の地質、北海道開拓長官黒田清隆と北海道の倉庫群、果ては加治木島津家(くわし)(ほこ)神社のお神酒等々、いつものとおり多岐にわたって興味深い話は尽きなかったのですが、拡げすぎるととりとめがなくなってしまいそうですから、惣別これのミ申事

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大木公彦“鹿児島に分布する火砕流堆積物と溶結凝灰岩の石材”,鹿児島国際大学考古学ミュージアム調査研究報告12201536
大木公彦“墓石が語る鹿児島の歴史と文化”,想林 第13号,鹿児島純心女子短期大学,2022330



2022 11 12

鹿児島県地学会の202211月地学見学会は、桜島・錦江湾ジオパーク推進協議会の吉瀬毅氏のご案内で宇曽木川を下る姶良市加治木の獺貫 (うそぬき)の滝周辺のオパールの露頭。三國名勝圖會国立国会図書館デジタルコレクションでは“左右巉崖 (ざんがい) (そばだ)ち、水石清幽にて、景状賞ずべ”き“獺䢚瀑”。20万分の1地質図幅(鹿児島,1997年)にある先姶良カルデラ火山岩類(Aa)の分布する地域は、吉瀬氏が元姶良市職員 楠本健一氏との共著で鹿児島県地学会誌 20229月号にご寄稿頂いた“姶良市加治木に分布する湯湾岳安山岩類の空隙に産する普通オパール”の Fig.2Map showing the locality of opal collectedBで示される湯湾岳安山岩類の分布地域に一致します。先姶良カルデラの活動は、加久藤火砕流(34~33万年前)と阿多火砕流(11~105,000年前)の間の時代の中期更新世の地質と考えられています。
獺貫の滝

湯湾岳は、地質図の北西側から南東に錦江湾に向かって伸びる国分層群(Kf)の市街地に近い所に形成されている山体(桜島S.A.を出て空港に向かう時に見える“山”の字型の山体群のうち海寄りのもの)で、ここを模式地とした大塚・西井上(1980*では、そこに露出する先姶良カルデラ火山岩類(Aa)が湯湾岳安山岩とされました。

露木 et al.1970**は“加治木町竜門滝・蔵王嶽などを形成する貫入岩体を新期安山岩類”としていて大塚・西井上(1980)の湯湾岳安山岩に相当しますが、大塚・西井上(1980)の“新規安山岩類”は、湯湾岳安山岩、青敷安山岩、西餅田安山岩により成る、国分層群蒲生層を覆う小田火砕流以前の地質です。右の5万分の1地質図幅_加治木(1967年)では上の20万分の1地質図幅で示される分布の地域の一部(20万分の1地質図幅で中央上の“加治木町”の下にある斜めった“を”の字型の先姶良カルデラ火山岩類の左部分)のみが安山岩岩床(輝石安山岩:As)とされています。5万分の1地質図幅では龍門滝は国分層群のうち中部層の凝灰質砂岩および同頁岩(Km)となっていますが、20万分の1地質図幅では先姶良カルデラ火山岩類が分布している位置となります。5万分の1地質図幅で“新規安山岩類”とされているのは青敷玄武岩質安山岩(大塚・西井上(1980)の青敷安山岩)と高尾安山岩ですから湯湾岳安山岩は含まれません***

尚、太田(1967)の高尾安山岩は(ひこ)火火出(ほほで)(みの)(みこと)(山幸彦)の高屋(たかやの)(やまの)(えの)(みささぎ)が祀られる高尾山の露頭を模式地として命名されていますが(姶良市ではなく霧島市溝辺町で、湯湾岳とは直線距離でも10Km以上離れています)、20万分の1地質図幅では、この辺りは前期更新世の新期北薩火山岩類。いろいろと面倒くさい地域です。

*大塚裕之・西井上剛資“鹿児島湾北部沿岸地域の第四系”,鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学),19801230

**露木利貞・早坂祥三・前野昌徳・大木公彦・籾倉克幹“鹿児島県十三塚原地域の地質 - いわゆるシラス台地の地質構造の一型式 -”,鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学),1970121

***太田良平“加治木地域の地質”,工業技術院地質調査所,1967117

さて、肝心のオパールですが、和名は蛋白石。水分を含む二酸化珪素(SiO2nH2O)ですから、宝石/誕生石として扱われるような蛋白石(precious opal)でなければ比較的広範に分布するシリカ(common opal)とはいえ、色あい等によっては珍重されるものもあります。脱水、結晶化が進めば石英/玉髄となるものの、オパールの段階では非晶質ですから従来の定義上の鉱物ではありません。ただ、巡検をご案内頂いた吉瀬毅氏に国際鉱物学連合(IMA: International Mineralogical Association)では鉱物として扱われているとのご指摘を受け、確認してみたところ確かに IMA list of Mineralsでの Opalは“IMA Status: approved”となっていて“Mineral name has been known since antiquity and predates any formal descriptive publication”とありました。大塚・西井上(1980)には“加治木町桃木野西方の沢では、本安山岩の空隙中に乳白色を呈する沸石と思われるものが見られる”との記述があり、吉瀬氏は獺貫の滝周辺で確認できるオパールと類似の露頭ではないかと推定されています。沸石<zeolite>は結晶性アルミノケイ酸塩ですが、非晶質ながら準鉱物と看做されているオパールの試料との比較成分分析が今後進められることになれば、ますます興味深いご報告をお伺いすることができるのではないかと思います。

獺貫の滝周辺には柱状節理が発達しており、剥落した湯湾岳安山岩の空隙に沈殿したオパール状のシリカを滝壺の岩塊に確認することができます。
獺貫の滝滝壺周辺で見られるオパール

池田助右門の貫の出水口 余談ながら獺貫の滝の“貫”は、まさに近くに (ぬき)利水・治水を目的とする隧道)が存在することによるもので、九州電力宇曽木発電所の構内に出水口があります。万治二(1659)年に開始された安山岩掘削工事からは脱落者が続出。一人残った池田助右衛門が37ヵ月後の寛文三(1663)年に完成させたと伝わる百二十間(≂218.18m)の隧道です。右は見学会後に立寄って確保してきた画像。発電所の水路と重なる出水口は水量によっては確認しづらくなってしまうようですが、今日は恵まれました。周辺の露頭をご覧になれば難工事であったことは容易に想像できます。

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さて、コロナ禍下での鹿県地学会見学会は午前中で終了してしまうのですが、折角姶良まで出張ったのだからということで、解散後に上の大塚・西井上(1980)で国分層群(Kf)のうちの鍋倉火砕流堆積物の模式地となっている蓬莱山天福寺跡を訪ねてみました。最初の地質図の初期画面では、一番左にある湯湾岳の先姶良カルデラ火山岩類(Aa)の西側に当ります。概ね黄褐色を呈する凝灰角礫岩で、軽石が層状に含まれています。

天福寺は、庄内の乱の後に誅された伊集院忠真の妻子が、その菩提を弔うために再興したと伝わる寺院でした。寺院そのものは現存しませんが、露頭の8ヵ所に穿たれた浅い窟の中に計23体の摩崖仏が残されています。詳細は姶良市デジタルミュージアムのサイトで公開されているこちらのファイルで。
天福寺摩崖仏群


2022 10 2

まくらざき探検隊の皆さま主催での“鹿籠 (かご)金山を偲び歩く”ツアーに参加させて頂きました。

1. 鹿籠金山

産業技術総合研究所地質調査総合センターの地質図では“東鹿籠”の表記の上の Au・Agの鉱山地図記号の位置にある金鉱跡です。

枕崎の古期南薩火山岩類(No: 安山岩・デイサイト・火砕岩)には、指宿同様、強い熱水変質を受けて金鉱脈が発達したものがあります(指宿の金鉱跡についてはこちらをご参照ください)。中でも有名なものが鹿籠金山。天和三(1683~4)年に発見されたと伝えられています。正徳年間(1711~6年)に産出量がピークを迎えた後、享和年間(1801~4年)に閉山。その後も島津家所有の鉱山として再開と休止を繰返しますが、明治元(1868~9)年の鉱区整理に伴い優良鉱区のみを島津家の鹿籠金山として他は解放され、旧鉱区には一時10を超える小規模な金鉱が稼行していたそうです(山之神金山、池ノ平金山、組合金山、虚空蔵金山等)。新鹿籠金山の所有権は明治六(1873)年に島津家から譲渡された後転々とし、明治十七~二十(1884~7)年には五代友厚にも所有されていました(地質調査所 “加世田圖幅地質説明書”,農商務省,1910820日,国立国会図書館デジタルコレクション)。

鹿籠金山坑道跡 有川夢宅祠 金山近くの大山祇神社には金山の発見者とされる有川夢宅の石像を祀る祠もあります。そこから坑口まで続く道で見られる石垣は、採鉱時に不要となった石材の再利用かと思われる古期南薩火山岩類と切り出された阿多火砕流堆積物(At)の美しいパッチワークです。
鹿籠金山付近の石組み

鹿籠金山せっと節

坑口前での保存会の皆さまによる鹿籠金山せっと節の実演も用意して頂いていました。鹿籠金山開坑の天和三年に閉山となった串木野芹ヶ野金山から移住してきた労働者の作業歌ではないかとのことです。“せっと”は鑿を打ち込む鉄鎚(石当)。暗い坑内で互いの安否を確認するために歌われたものでしょうか。石当が鑿を打つ音で拍子をとる様子は、全編ではなくさわりだけですが右の画像をクリックすれば動画でご覧頂けます(この規模での実演は時節柄で、本来は採掘箇所を巡る態の踊りを伴うより大人数で演じられるものだそうです)。

2. (なめり) (かわ)甌穴群

焼酎でも有名な花渡 (けど) (がわ)に架かる滑川橋の上流にある滑川甌穴群。阿多火砕流噴出物(At)が露出する河床に形成されています。滑川は、この地域での花渡川の別称だそうです。

石垣の石材として使用されている阿多の溶結凝灰岩は赤味を帯びた所謂“荒平石”ですが、こちらは、どちらかというと頴娃の滝を連想させる色調と岩相です。
花渡川の滑川甌穴群

なかなか有意義な散策に参加させて頂いたこと、感謝いたします。


2022 8 11

そろそろ水無池が建設残土処理場として利用され姿を変えてしまう日も近いのではないかと思い、見納めのつもりで現状を確認してきました。整地されたためにマールの形状が以前よりも判り易くなっているというのは悲しい現実です。
水無池マール

画像の右奥に見える露頭は昨年、鹿児島県立博物館による地質調査が実施された箇所かと思われ、露頭の前の水溜まりが、おそらくは今でなければ見られない“水無池の水”という奇観を演出しています(左下画像。県立博物館の調査報告書は、博物館のHPでご覧頂けます)。
水無池マール

石碑、説明版は、住民説明会での要望を汲んで処理場運営主体・土地所有者である土木・造成等事業者さんが設置されたものです。石碑奥に見える大正三年の水神碑の由来は、島根大学附属図書館・奈良文化財研究所の“全国遺跡報告総覧”で公開されている鹿児島県指宿市教育委員会の“令和3年度市内遺跡発掘調査報告書(南迫田遺跡・敷領遺跡・成川遺跡・その他市内遺跡)”で紹介されています。


2022 7 25

ライブストリーミング配信からのキャプチャー画像の使用につき(株)財宝様からの御許諾を頂きましたので、桜島入山規制レベルの変更に関し、鹿児島県地学会のセクションの桜島のページ(202112月巡検報告のうち“安永の噴火の記録”)に加筆しました(25日付)。大方の予想通り3日後には入山規制レベルが従前の水準に戻されましたので、それについても追加しています。


2022 5 30

佐世保の潜龍ヶ滝 先週の佐世保行きの画像を“平戸八景”のページにまとめました。本来は平戸藩10代藩主松浦 (ひろむ)公が選ばれた“平戸 () (かた)八竒勝”で、“八景”とはいえ瀟湘八景型のテーマを見立てたものではないのですが、それぞれに澤渡廣繁の画と七言絶句が添えられています。“平戸”は旧平戸藩で“地方”は島嶼部を除く領地を意味していますから現在の平戸市は対象外で、市町村合併の結果、8箇所全てが佐世保市に属します。

惜しむらくは砂岩系の脆い地質に形成された地質遺産が多く、高巖、眼鏡石の2ヵ所で立入りが制限され、石橋は完全に立入禁止となっています。このため、記録としては個人的に不満の残るものとなってしまいました。

帰りは佐賀で一休みしたついでに小城の岩蔵寺に寄って“殿の腰掛岩”の画像を確保してきました。残念ながら周辺が工事中でしたが、“山川・成川マール”の“余談②:JR山川駅”の大磯の虎のエピソードのリンク先として参考画像ページを追加しています。


町で見かけた遺構




2022 5 29

高免観測坑道前の井口教授 鹿児島県地学会の昨年12月の京都大学防災研究所附属火山活動観察センターの観測施設見学は“ランニング桜島”というイベントに重なったために断念せざるを得ませんでしたが、事務局のご尽力で改めて観測坑道見学が実現することとなりました。案内してくださったのは所長の井口正人教授。報道番組で拝聴するものとは違った軽妙なお話を楽しみながら最先端の噴火予知システムを構成する機器を見学できるという幸せな時間でした。正確な観測結果を得るためには観測坑道内への立入りはあってはならないことなのですが、総勢20名超が立入ってしまったことによって生じた観測データのノイズについても本館モニター室で為栗健准教授に確認させて頂いています。

“鹿児島県地学会”のページからのリンク先にに見学会の概要をまとめました。


2022 5 17

昨日のNHK鹿児島のローカル・ニュースで、頼朝御落胤説もある初代忠久が頼朝から拝領したと伝えられる八景釜を含む島津家の名品が公開されていることを知り、尚古集成館に出かけました。本館が耐震工事で閉館中のためスペースの限られる別館の一室に展示されていて、別館のみに入館することはできないシステムなので仙厳園との抱き合わせ入場券を購入しなければならないという割高感を否めない企画展で、展示物は9月までの間に何度か入替えられるそうですが、その度に行くかと聞かれると“ん ・・・”というのが正直なところです。まぁ“伝”ではありますけど無双の美丈夫豊久が関ヶ原で討死した時に着用していたとされる紺糸縅腹巻も目にすることができましたから、これでいいかな、と。豊久の腹巻の説明版には胴背面の説明もあったのですが、鏡等でそれを確認させるという工夫もないので八景釜も四景釜でした。承久の乱の宇治川合戦で二代忠時が用いたとされる兼永銘の“綱切”が展示されるようなことになれば考えますけど(最近、興味が“鎌倉殿の・・・”に寄ってきてます)

明楽寺仁王像 不完全燃焼気味だったので、何か帰りにと考えて思いついた山田ICの近くにある明楽寺に寄って仁王像の画像を確保してきました。廃寺となった曹洞宗の寺院が時宗の寺院として再興され、来歴の明らかでない仁王像が残されている、という謎めいた話が、昨年の発掘調査現地説明会の様子を湊川層のページで紹介している光臺寺跡から出土した仁王像を連想させて気になっていたスポットです(現在の“明”楽寺は浄土真宗。曹洞宗の“妙”楽寺は裏手の山の位置にあったようです)。

湊川層のページの“周辺の史跡③:光臺寺跡”で参考画像に若干の説明を加えてpop-upで表示させる体裁としています。


2022 4 17

「いぶ好き『ふるさと学』講座」での大木公彦先生 昨日、指宿市考古博物館 時遊館Coccoはしむれ様主催の“市民のための「いぶ好き『ふるさと学』講座」2022年度第一回として開講された大木公彦先生の“世界に誇る指宿の温泉の秘密”を受講させて頂きました。On-lineでの受講も可能だったようですから講義の模様はそのうちネットでも公開されるかもしれませんが、とりあえず参考資料をまとめてみた簡単な備忘録です。

講義の内容に最も近いと思われる資料は先生が鹿児島大学総合研究博物館の館長を務めておられた時期に開催された特別展“鹿児島の活火山(20081021~1121日)”にあわせて編集されたNewsletter10月号(No.20でしょうか。これだけでも充分に面白いので是非お目を通されてみてください。

講義は温泉法(昭和二十三年法律第百二十五号)の第二条(定義)『この法律で「温泉」とは、地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)で、別表に掲げる温度又は物質を有するものをいう』にある“別表”の “一 温度(温泉源から採取されるときの温度とする。)摂氏二十五度以上”、“二 物質”にある物質・含有量に沿った温泉地の例というところから始まって(Newsletter No.20では“温泉と鉱物資源(p.14-15)”)、火山地帯だから温泉が湧くという訳ではなく沖縄に至る火山のない島嶼部にも温泉は存在するという話に進んだのですが、当日配布されたスライドのプレゼンテーション“火山はなぜ列をなすのか? - 琉球海溝と火山フロントの関係”、“地震分布 - 東西断面図(霧島;桜島;開聞岳)”という流れになった辺りからは大木ワールド全開です。先生の熱量をお伝えすることは到底不可能ですが、おおよその内容はNewsletter No.20の“マグマはどこで発生するか?p.10~11)”にあるプレート境界と火山、震源分布の断面図をご参照の上、当日の様子をお察し頂ければと思います。

これに続く“鹿児島地溝・カルデラ・活火山”はNewsletter No.20では“カルデラと鹿児島地溝(p.8~10)”。錦江湾の海底地形の調査を続けてこられた先生の阿多カルデラについての思い入れのこもったお話で、熱量はクライマックス。南薩では赤味を帯びた“荒平石”という先入観の強い阿多火砕流堆積物の溶結凝灰岩が志布志では“黒石”と呼ばれていて、さつま町の宮之城島津家の墓所の墓石にも使われている郡山の“花尾石”も成分は阿多、という謎の岩相の差にまで広がりました。大木先生には鹿児島県地学会の会長をお願いしていて、202012月にご案内頂いた巡検は郡山でした。志布志の黒石も202110月の個人的な遠征で確認しており何れも画像をこのサイトで紹介していますので、よろしければリンク先をご参照ください。

個人的に今回の講義に関連した基本的な文献かと思うものを取急ぎリスト-アップしてみました。

太田良平“シラス研究序説”,地球科学 第72号,19645

露木利貞“九州地方における温泉の地質学的研究(第5報)鹿児島地溝内の温泉 - 特に温泉貯留体について”,鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学)No.21969121

内村公大・鹿野和彦・大木公彦“南九州、鹿児島リフトの第四系”,地質学雑誌120巻,20148

KANO, Kazuhiko・WILSON, Thomas H.Kagoshima Rift and Volcanism - An Introduction to the Geology of Kagoshima”,鹿児島大学総合研究博物館,2013717

早坂祥三・大塚裕之・大木公彦・東川勢二“鹿児島県指宿沿岸海域の海底地形と底質の粒度分布について”,鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学)No.71974930

早坂祥三・大木公彦・大塚裕之・東川勢二“鹿児島湾口部の海底地形と底質(鹿児島湾の地質学的研究-II”,鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学)No.91976930

早坂祥三・大木公彦・大塚裕之・東川勢二“鹿児島湾奥部の海底地形と底質(鹿児島湾の地質学的研究-III”,鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学)No.91976930

大木公彦先生の「鹿児島湾の謎を追って」 森脇広・松島義章・杉原重夫・大平明夫・大木公彦・増淵和夫・弦巻賢介“鹿児島湾北岸、国分平野における過去15,000年間の海面変化と古環境変化”,第四紀研究 第544号,20158

大木公彦“鹿児島県に分布する後期更新世海成層の堆積環境とネオテクトニクス”,南太平洋海域調査研究報告32巻,1999730

大木公彦“鹿児島に分布する火砕流堆積物と溶結凝灰岩の石材”,鹿児島国際大学考古学ミュージアム調査研究報告12巻,201536

また、単行本ですのでネットで閲覧することはできませんが、鹿児島地溝については大木先生の“鹿児島湾の謎を追って(かごしま文庫 61),春苑堂出版,2000620”の“鹿児島湾誕生の謎”に読み易くまとめられています。是非ご一読を。


2022 3 23

昨年8月に公開されていた国土交通省国土地理院湖沼図の“池田湖”を“池田火山”、“鍋島岳溶岩ドーム”、“清見岳溶岩ドーム”のページ、“鰻池”を“鰻池マール”のページで参照できる仕様としました。何れも文中から該当箇所をiframeで表示させるページにリンクさせる体裁としています。“池田湖”は該当箇所の部分表示(“池田火山”は池田湖湖底溶岩ドーム)となっていますが、何れも拡大・縮小及びスクロールが可能です。

地形図に使用されている水深点、等深線、湖岸線等のデータは、国土地理院のサイトからダウンロードすることができます。


2022 3 11

産業技術総合研究所地質調査総合センターの地質図Navi1月の“大規模火砕流分布図:姶良カルデラ入戸火砕流(2022~復元された入戸火砕流堆積物の分布と層厚~”が追加されました。基本分布図(地質図<EPSG900913>)と分布・層厚図(南九州<Fig.10>)及び姶良Tn火山灰層の層厚分布(全国<Fig.11>)で、このうち南九州版の入戸火砕流堆積物分布・層厚図を“入戸火砕流堆積物”のページの脚注7のリンク先ファイルで参照できる仕様としています。


2022 1 26

産業技術総合研究所は、防災や社会インフラ整備に役立てることを目的として新たに巨大噴火の噴出物情報・影響範囲を提供する“大規模火砕流分布図”をシリーズ化。火砕流堆積物の分布範囲、層厚等の情報が、地質調査の結果とボーリングコアデータを集約した統一的な基準で示されます。対象は過去12万年間に発生した12件の巨大噴火。昨25日、第1 回として“姶良カルデラ入戸火砕流堆積物分布図”が公表され、推定噴出量も改訂されていましたので、“入戸火砕流堆積物”のページの内容の一部を変更し、“大規模火砕流分布図”のページへのリンクを設けました。
   来年度にかけ“支笏火砕流”、“阿蘇
4火砕流”の発表も予定されているようです。

【プレスリリース】
日本で発生した巨大噴火の影響範囲を明らかに
~シリーズとして「大規模火砕流分布図」を作成~https://t.co/bmeRU3J54I

防災計画や社会インフラの整備に、高精度な地質情報としてご活用ください。 pic.twitter.com/5sMr72u9h1

— 産業技術総合研究所(産総研) (@AIST_JP) January 25, 2022



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